3枚の絵 | kyupinの日記 気が向けば更新

3枚の絵

これはイングランドおよびその2)の続きになる。この患者さんは病棟をかえてしばらく様子を見ていた。前のエントリでは、クレミンとルーランで治療をし、次第にセロクエルを減量していくようなことを書いている(2007年2月半ば)

病棟をかわった最初の頃は少し精神症状が改善したように見えた。しかし薬物調整をしているうちに、また周囲の患者さんとの交流をしているうちに、病状が再び悪化してきたのである。ちょっと難しいのが、薬物の調整と環境の時間的変化が平行しているので、病状の悪化と薬との因果関係が掴みにくいこと。この環境だと、薬が悪いのかたまたまある患者に声をかけられて悪くなったのか判りにくい。

なんとか血液内科病棟にあるような無菌室みたいな環境が作れないか?と思った。1つの方法として、寝たきり老人の4人部屋の病室で治療することを思いついた。保護室も良いように見えるが、これは以前そういう方法も取っていたし、もう少し現実に則した環境でないとその後が難しいと思ったことがある。つまり、保護室はあまりに無菌過ぎるといえた。本人は、その老人部屋をけっこう気にいってくれた。ホールに出て食事をする時には、若い患者さんも一緒になるのである。その時はストレスにはなるのだろうが、いつも一緒とは全然違う。

しばらく経過観察していてわかったこと。

① セロクエルは一見、役立たずに見えるが、この患者には必須である。しかも多い量も少ない量も良くない。300mg程度が良い。600mgなんて必要ない。セロクエルは表情、認知、恐怖感を改善する。ただ、被害妄想にはほとんど効果がないので有用性の判断が難しい。有用とはいえ、単剤は無理なのである、

② クレミンがどうやら柱になりうる薬物で、最低150mgは必要なこと。陰性症状を改善するほか、被害妄想をかなり緩和する。

③ トロペロン、セレネースは幻覚妄想には効果的ではない。この患者さんの場合、副作用が出るわりに効果が小さすぎる。(一時的に筋注するのは意味がある)

④ リボトリール(2mg)は何らかの関与をしているように見えるが、一度は中止して判断するべき。

⑤ ルーランは今少し減量して16mgであるが、ひょっとしたら必要ないかもしれないし、使うにしてももう少し少量(4~8mg)の方がむしろ良いのかもしれない。ルーランを追加すると、やや認知が良くなり、頭の中が凝集する感じ(本人の言葉)を改善するように見える。48mgなどの大量はたぶん意味がない。あと、少量のルーランはクレミンの副作用を軽減している可能性がある

現在、メジャーはセロクエル300mg、ルーラン16mg、クレミン150mgという変な処方になっているが、もちろん、ベースはクレミンである。クレミンは旧来では極めて有用な薬物の1つで、その中でも特に傑出している。この薬剤は、吉富薬品(現:三菱ウエルファーマ)の自社製品であり、これほどの抗精神病薬を作れたことを同じ日本人として僕は誇りに思う。

クレミンの薬物プロフィール
D2  +++
α1  ±
mACh -
5HT2 ++
H1  ±


こんなプロフィールでもけっこう陰性症状に効果がある。陰性症状に効果的である点でSDA的と言えると思う。また抗精神作用に厚みがあり、ジプレキサとちょっと似たような感じというか、ほとんど区別のつかない治り映えになることもある。ジプレキサも厚みがある(セロクエルやルーランに比べ)が、クレミンの方がなお厚く、その分、副作用も出る。しかし治療上の大失敗がジプレキサより少ない。つまり、ジプレキサより治療全体での安全性というかリスクが低いのである。(クロフェクトン参照)

またクレミンはクロフェクトンの派生薬物なので、心因性疼痛にも効果がみられることがある。幻聴などへの効果とうつ状態への効果をダブルで持っているのである。

神田橋先生の本でちょっとだけ書かれているのを見たことがあるのだが、クレミンは患者さん自身の体験としての内面の苦悩がなくて、外側との関係の中でだけの緊張による苦訴には良いんだと。僕はそこまで細かい差異がわからないんだけど。

しかし、クレミンという薬物は、非定型抗精神病薬がどれも不調に終わったような患者さんの一部にかなり有効であるような気がしている。きっと日本で、なんともうまくいかない人たちの一部は、この薬で救われると思うのである。

メジャー以外では、リボトリールが微妙だ。これは、こんなタイプの患者に併用した場合、他の薬物を減量しても同じパフォーマンスを得られるような補助的な薬物になりうる。しかし、リボトリールは内面はまあ良いとして、他者との関係を損なわせることがある。だから彼の場合、人間関係(の妄想)で悩んでいるので、かえって悪いケースもあっておかしくはない。つまり、気分安定化薬物とは言え、ベンゾジアゼピン的特性は備えているのである(当たり前だ)

最近になって、やっとにこやかに話ができるようになった。先日、僕にぜひ言っておきたいことがあると言ってきた。それが「3枚の絵」についてである。彼がイングランドのある大学病院に入院していた時のこと。ある白人看護師が彼のところにやってきて、日本で行った悪事をすべて紙に書けという。

「オマエは、日本で悪事を働いていたんだろう。吐け。何人殺したんだ」

おそらく、本人が警視庁や公安から追われているなどと言ったため(もちろん妄想であるが)半分、本気にされて、生活歴の聴取みたいなものだったのかもしれない。少々、手荒いけど。

彼によれば「自分の人生で、そんな犯罪を起こしかねない時期は中学生の時期だけでした」という。きつく何度も詰め寄られたので仕方なくデタラメに紙に書いておいた。日本の警視庁にも照会されるかもしれないとちょっと思ったという。それ以後、頭の中に3枚の絵が時々思い浮かぶようになった。その3枚の絵とは、

① 夏の日に生えるボウボウの草
② セーラー服のうしろ姿。
③ ユニフォームみたいな衣類(テニスのユニフォームのような感じ。服だけ)


この3枚の絵がずっと頭に浮かんでいたのだが、最近になってその絵の大きさが急に小さくなったという。この話をした後、「言って良かったです」と言いニッコリと笑ったのである。

あのイングランドでの体験は、きっと彼の心の傷になっていると思う。その後の病状にも大きく関係しているかもしれない。その体験だけ見ても、彼は渡英しない方が良かった。ただ彼自身はそれを重大視はしていなかったけどね。

この「3枚の絵」エピソードについて、僕は何を意味しているのかわからない。それでもこれを話したということを僕はプラスに考えている。ジプレキサやエビリファイを使い始めると、以前は話していなかったような幻聴を急に話し始めることがある。これは、急に悪くなったように思うこともあるが、普通は良いことが多い。実際、非定型抗精神病薬の場合、悪いのなら表情の険しさや他の症状が悪くなっているので判別できる。

この3枚の絵の話は、幻覚ともなんともいえないけど、ちょっとだけ治療が進んだ証だと思うのである。まだ道のりは険しい。