イングランド(その2) | kyupinの日記 気が向けば更新

イングランド(その2)

イングランドに逃れた人の話の続き。
渡英する前、彼は日本でセロクエルによる治療をしていた。それでもなお、イングランドに行こうと思いたったのは、セロクエルの効果が不十分だったからと思われる。

航空券はツアーでもなんでもないのでかなり高価だったらしい。往復で約60万だったとか。そのお金は持っていなかったので、父親になんとか出してもらった。父親には貸してやるから、と言われたらしい。予算とかそういうものはなく所持金は10万ほど。

イングランドに着くと最初に難民申請などをして、○○ハウスという部屋も与えられ食事も出る施設に入った。彼によれば、そこには黒人ばかりで南アフリカ共和国の人が多かったという。食事は無料で、料理はあんがい良かったらしい。「南アフリカの人が食事を作ってくれました。」と話していた。

彼は出国の時に3日分しか薬を持っていかなかった。だから、すぐに薬が尽きた。他の住人から、○○ハウスの嘱託の精神科医、ドクターJを紹介され、そこにバスで通ったのである。

「○○ハウスにいる人の治療費はタダでした。」
(さすが、ゆりかごから墓場までの大英帝国ではある)

彼は、最初に治療を受けた時のことについて、「セロクエル以外の薬は別に飲まなくても大丈夫というのがその時にわかりました」と話している。セロクエル以外は、1つだけ良くわからない薬が処方されただけだった。

彼に英語についてどうだったか聞いてみた。彼に「最初は戸惑いましたが、すぐに慣れました」と話している。そのうちにお金も少なくなり、先の見通しも立たず、かといって帰国もする気にもなれなかった。次第にどうにもこうにも苦しくなってきたらしい。ある日、カッターナイフで自分の左肘部を切った。本気で死ぬつもりだったのである。

その時のことを彼は良く憶えており、
「カッターで切ったら最初はバーッと血が出てきた。ずっと待っていたらだんだん血が止まってきて『ああ、人間と言うものは簡単に死ねないものだな』と思いました。」

そんな風にしていたところを他の○○ハウスの人に発見され、精神科病院に連れて行かれた。その後、入院治療を受けることになった。精神科病院では、職員も入院患者も黒人が目立っていたという。

彼が入院治療で最も嫌だったことは食事のまずさだったらしい。これはイギリスだから仕方がない。食事内容を聞くと、「肉料理が多かったです」と話していた。その精神科病院では、契約社員のような日本語通訳の人もいたという(これで医療費もタダなのである)。

彼は次第に食事が辛すぎるので帰国したいということを必死でアピールするようになった。病状は少し良くなったくらいであまり変わらなかったが、2ヶ月の入院を終え帰国となった。

彼は帰国後まもなくしてうちに来て入院となっている。その後、僕が治療をしているがどうもうまくいかない。下手すぎ。未だに先が見えない。

彼の場合、トロペロンやセレネースのような古典的ブチロフェノンが合わない。特に静注や筋注した時にそれを強く感じる。内服でも尿閉が出るし、それらの副作用を減らす薬を合わせても、精神面が改善しないので意味がない。フェノチアジン系もいろいろやってみたがうまくいかない。気分安定化薬の併用も思わしくない。

こんな人はオーラップが合うことがあり、しばらく処方してみたがこれもダメだった。いちいち挙げていくときりがないし、言い訳がましいのでもうやめるが、良かった薬より、悪かったものを上げた方が早いくらいなのである。

ただ、クレミンだけはまあまあ良かった。一時、毒が入っていると訴えて食事を全然摂らない時期があり、この症状のみクレミンで改善した。今では食事は摂るのである。クレミンは呂律が廻らないようになることはあまりないのだが(まあ量によるけど)、彼はそうなので薬に弱いと思う。

今のところ転地療養で少しだけ良い。しかしまだ先は険しい。全然、根拠はないのだけど、イングランドまで1人で逃げていった人が、ここまで良くならないというのが、ダメだと思うのである。

あるいは、副院長に主治医を代わったほうがうまくいくかもしれないとすら思っている。こういうのは相性もあるから。しかし、もしそういう話を振った場合、絶望して自殺を考えるかもしれない。彼は僕に捨てられたと感じるような気がしている。

年初、両親が面会に来たとき、彼の病状を説明し、これまでどんな治療をしてきて、今後どのようにしていくつもりか話した。あと治療がうまく行っていないことについて、なんとなくわかるように謝ったのである。(もろに謝った場合、こちらが無能と言っているように見え、信頼関係が損なわれるのも考慮している)

両親は、「息子を宜しくお願いします」と言った。

僕はひょっとしたら、何か文句の1つでも言われるかもしれないと思っていた。ところが、何も言われなかったのである。僕のこの感覚はわかってもらえないかもしれないが、もうそう若くもない両親がとても哀れに思われた。同時に、自分も同じくらい哀れだと思った。

こっちも必死なのだが、これも精神医療なのだ。本人は「呂律は廻らないけど、病状は前より良くなっています」と言う。僕にはそうは見えない。たぶん、「見かけ」は薬を減らせば良くなるような気がするが。

今日、会ってどうか聞いてみた。
「最近は、『よし、来い』という気持ちになってきました」

根本的にあまり変わっていないと思うのだけど、どこかに逃げようとか、恐れて不安がっている感じは少し減ってきたかもしれない。僕は、子供みたいに思うかもしれないが、いろいろやっていると、いつかは知恵の輪が開くように良くなるような気が、どんな患者でもするのだ。子供の万能感のように。

彼には入院以来、ほぼ毎日会っている。出勤した日だけだけど。

でも、精神医療は結果しかないから。