三国志作家の玄子(げんし)です。

張角さんのお墓があったこと、最近初めて知りました!
張角って誰よ?っていうとこの人よ!この人!
三国志の全ては張角さんから始まったと言っても過言ではないくらいの要チェック人物。
簡体字では张角。黄巾軍の親分です。
親分が引き起こした黄巾の乱と三国志英雄たちへの影響は
私淑派*三国演義 をご覧くだされ〜。
↑アメブロに書いた「とりあえず!三国演義」に加筆致しました。
で!!肝心の張角さんのお墓はー
これ、らしいです。
※写真は拝借いたしました。
・・・![]()
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え?何?どこ?どれ??って思われたかと思いますが、今一度。
これ!こんもりと土が盛られている、これらしいです。
こんな田舎に、こんなひっそりと、、、
嗚呼、たまらん![]()
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この手の三国志跡は観光地化された場所よりも、ずっと響きます!
張角さんに会う時は黄色い頭巾を纏うと喜ばれるかと思いますが、このお墓は生まれ故郷にあるそうです。
かなりの郊外なので、空港からここまで黄色い頭巾を巻いてくるのは難しいかも
怪しまれる可能性大!気をつけて!
黄色い頭巾が目印である黄巾軍は各地で悪いことをしたので、官軍や義勇軍の活躍により制圧されましたが、親分である張角さんは崇められていました。
反乱に失敗した張角さんと、二人の弟の遺体はどうなったのか?といえば
地元の人が官軍から奪還し、故郷の地に埋葬したというではありませんか!
黄巾軍はともかく、親分たちは余程、慕われていたのでしょう。
地元の人は七七日(四十九日)法要にあたる「七祭」まで執り行いました。
故にこの村は「七祭」という地名になったのですが、朝敵を埋葬したことがバレると大変なので追及から逃れるべく
祭って漢字を同じ発音である汲に変え、その後、時代の流れとともに級となり、今日はー
河北省定州市子位鎮七級村に張角様、ご健在なり!
弟二人のお墓は残念ながらなくなってしまいましたが、張角親分だけはやはり別格!!
様々な暴風雨に耐えて今日まで護られてきたようです。
さすがは親分!
史書には国賊として名を残した親分ですが、地元の人にとっては英雄なのですね!今日でも!
故に三国志は面白いのです。
地元の人の思いって史書にはないけど、ある意味、史書以上に英雄たちの魅力が生き続けていることを痛感します。
そこで!どこで!ここで!突然ですがお知らせです。
張角さんのお墓が現在でも健在と知り、親分の魅力を改めて思い知らされ、ますます三国志が大好きになったので、、、
明日限定!思いつき企画!!
明日は楽しい雛祭り〜![]()
だけど、外出は控えなきゃいけない、、、家でやることなんかない?
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ジャンルはおチャラ系三国志。
真面目じゃないので予め気をつけてください![]()
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本来は事前に告知とかするものですが、今回は思い立ったら吉日で行きます。
興味のある方は、明日のブログ更新を要チェックしてくださいね〜!
今日も張角親分のご縁をありがとうございました!
玄子(げんし)

