孔明先生の『隆中対』
天下三分の計の始まりは
董卓が横暴を極めてから、ですが
孔明先生にとっての波乱の人生も
董卓によって始まったと言えるかもしれません。
諸葛孔明先生専属の
文霊想作家・玄子です。
董卓が朝廷を牛耳るようになり
多くの人が都から離れました。
その一人が、曹崇さん。
曹操閣下の父上です。
どこに避難したのかと言えば・・・
孔明先生一家のいる徐州・・・。
暫くして、曹操閣下は父上を迎え入れることに。
曹崇さんは徐州の太守、陶謙に手厚くもてなされ
警護の兵までつけてくれたのですが
↑こいつが問題児でした。
なんと!警護の兵が、
曹崇さんの命を奪ってしまったのです。
怒った曹操閣下は大軍を引き連れて徐州攻め。
ってことがあったので、
一家断絶を恐れた諸葛家は
故郷を離れることになりました。
長男、諸葛瑾殿は継母の宋夫人とともに呉へ。
後に孫権殿に仕えます。
そして、玄叔父さんは
孔明先生と末弟の均ちゃん
姉上二人を伴って豫章へいくのですが
ここから先、陳寿『三國志』と
作者不明の『献帝春秋』で微妙に流れが異なります。
が、どちらも豫章を出た後、荊州へ。
ということで、
次回はいきなり、荊州からお伝えします(^○^)

