劉諶殿の最期の地・昭烈陵 は
玄徳公の陵(お墓)なので
いわば、劉氏の象徴。
劉禅陛下を始めとする
劉氏の人々は北方へ連行されました。
なんたる屈辱!
魏を倒しての北方入りではなく
投降者として魏へ行くことになろうとは!
って蜀の領民も諸将も
きっと、天に還って見守っていた
蜀漢の英雄たちも
後世の蜀漢ファンも
嘆き悲しみました。
が!このお方は違いました
蜀?全然恋しくないっすよ~
こっち(魏)の方が食べ物も美味しいし
楽しいし良いことばかり♪\(^o^)/
皇帝がそんなことを言ったもんだから
蜀の英雄を祀る昭烈陵には
お呼びではないのです。
で、そんな蜀漢に同情したのか?
蜀の領民の反発を畏れたのか?
今日のポイントはここ
建築物は取り壊されましたが
昭烈陵そのものは
全く動かされることなかったそうです。
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曹操殿が唯一『英雄』と認めた
玄徳殿へのせめてもの敬意なのかも
しれないけど
取り壊さなかっただけでも
良しとせねばならないとは(´;ω;`)乱世・・・
が
天下人が誰であろうとも蜀の人々の心の中までは支配できませぬ。
蜀が滅亡してから45年後
ついに、成都に武侯祀が

∑ヾ( ̄0 ̄;ノ次回からやっと武侯祀の本題!?
今日までの前置き長すぎ

だけど、いいよね
蜀漢愛のなせる業♪今日も最後までご覧頂き 謝謝!
玄子@諸葛丞相ファンクラブ会長