今日は旧暦の4月24日。
玄徳殿の命日にございまする。
劉備(字は玄徳)さま。
161年3月23日~223年4月24日。
『三国志』の著者、陳寿は
夏四月葵巳 に崩御されました、と記していますが
その後の調べにより
玄徳殿の崩御された時は
葵巳ではなく辛巳だったそうです。
二十四日、という具体的な日にちは
孔明先生が
「今月二十四日、
忽然と崩御されてしまいました」
と述べ更には、
玄徳様が崩御された当時の
蜀国内の様子については
「臣下は皆慟哭し、
あたかも父母を亡くしたかのように
悲傷に暮れています」と続けています。
慟哭し悲嘆に暮れる臣下の中でも
孔明先生と子龍殿の悲しみは
他の人以上のものがあったような気がします。
子龍殿に至っては
劉禅陛下が生まれる前から
生死を共にして来た間柄。
三顧の礼を以て迎えた
孔明先生も、
今では一国の丞相として
蜀の国を支えるほどに。
玄徳様はそんな信頼できる仲間に
阿斗と後を託して
関羽殿、張飛殿のもとへ旅立ちました。
個人的な見解ですが
安心して後事を託せる人々に
見護られながら旅立った玄徳様は
波乱万丈の生涯でしたが
幸せだったんじゃないかなと思います。
旅立たれた玄徳様の御遺体はその後
孔明先生が風水を駆使して厳選した地に
運ばれました。
死ぬまで忠誠、忠義を尽くすことで
玄徳様への恩義に報いるべく
何度となく足を運んで
玄徳様の御霊に語りかけた孔明先生。
*
あれから時は流れ
孔明先生の想いも
歴史上の出来事となってしまった
21世紀の今―
玄徳様の眠る昭烈陵は
暴風雨や様々な大変なことに耐え抜き
今でも成都に健在です。
玄徳様を心から慕う人々が
訪れては今日も謁見を賜っています。
*向かって左が昭烈陵、右が武侯祀です。
いつかは蜀の地へ、と思われている方は
是非、成都昭烈陵をご訪問くだされ

蜀漢王朝の回し者@玄子