REI君が親爺の処に来たのが令和3年1月だった。

それまでは多頭飼いで保護犬同様に飼われていたようだ。多分5・6歳だろうと言うので令和3年度の狂犬病の予防注射の時(4月26日)、生年月日を聞かれたので2015年4月26日と応えた。

 

一応、ゲージに屋内トレーニングパッドを準備したが屋内ではおしっこもウンチもやらない。

朝晩の散歩の時にどちらも済ませる。散歩が出来ない時、困ると思い電柱変わりになる棒を用意してトイレの練習を心見たがやってくれない。動物病院で相談したところ、躾けるには遅すぎると言うので、現在もトイレは屋外です。

初日からゲージではなく、親爺と寝ることにしたらコタツに捥げって寝たようだ。

メガネを枕元に置いて寝たら、な・なんと運んでレンズとレンズの間を齧って壊してしまった。次の日、直してコタツの上に置いたら、またまたフレームがメチャクチャに壊された。

1週間もするとしっかり慣れて、リードを付けずに散歩しています。

小さい頃、愛不足だった制か、現在は甘えん坊で、近所のお婆さんから

「REI君は爺さんが居ないと大変なんだからと…」と言われる始末です。

食事は3食で朝晩はペットフード+茹でた鶏胸肉、昼は茹でた鶏胸肉だけでしたがいつも食べ過ぎで、ちょっとデブになったので、現在ダイエット中でペットフード+茹でた鶏胸肉+根野菜。根野菜はカボチャ、人参、ブロッコリー、さつま芋などです。

先日は少し洋子が可笑しく、動物病院に行った処、腰痛だと言われました。ペット保険に加入していないので32,000円も取られる。親爺の歩行訓練のトレーナーですから仕方ありません。当分、晩酌を辞めるようです。

朝の散歩が少し寒くなってきました。

これまでは6時から7時でしたが桂島の日の出が6時30分頃なので、今週から7時15分に出発しました。その頃は日が昇り少し暖かくなります。

はい、1年ほど前から朝晩、約3km×2回、REI君と散歩をしています。

雨が降ろうが、嵐が来ようが365日です。

 

何となく散歩していた頃は景色をなんとなく眺めたりはしていましたが疲れるは楽しくないわで続かなっかったんですよね。

それを散歩では無く歩行訓練(健康の為)と、考え方、意識の持ち方を変えたところ、

楽しく歩けるようになって来た。

何となく眺めていた景色も観察したりどうしてと?疑問を持ったりとなかなか楽しみも増えてきた。

今まで風景だった海・水平線・船がそれぞれ意味をもってくる。水と空との連なれる水平線を静かに静かに流れる船も、あの大きい船はトヨタの宮城工場、岩手工場で造った車を運ぶ船だ。こっちの白い船はたぶん名古屋、東京、仙台、苫小牧を結ぶ太平洋フェリーだなど、島の動植物も新しい視点、観点で興味をそそる。

桂島は「つばき」が多いなぁと思っていたが「山茶花」も多い。山茶花もいろいろ種類が多く、赤・白・ピンク・赤白などあるなど、何見ても楽しいのです。

自然観察しながらの散歩は、「生産性の向上」「うつ予防」「アイデア創出」などなど様々な効果があるらしい。

 

◆内閣府「地域社会雇用創造事業」成果報告

 

◇浦戸桂島の牡蠣を守るため「牡蠣養殖に挑戦」

「江戸時代から続く牡蠣養殖を絶やしてなるものか!」 頑固おやじが旗を振る桂島の島おこし

<みらい基金より>

松島湾に浮かぶ浦戸諸島では、約300年前から牡蠣養殖が営まれてきた。浦戸諸島の一つ桂島でも、かつては牡蠣養殖が盛んだった。しかし、震災による人口減少、担い手の高齢化などの影響で、現在では4名まで減少し、存続が危うい状況だ。そこで、牡蠣養殖の伝統を守るために、一般社団法人浦戸夢の愛ランドの三浦さんが旗振り役となり、後継者育成事業を開始した。ゆくゆくは、牡蠣養殖を組織化し、若手は力作業の多い海の仕事、高齢者は種牡蠣の挟み込みや牡蠣剥きなどの仕事という具合に分業を進めて、雇用機会を増やしていくことも視野に入れている。

<事業の評価ポイント>

このプロジェクトは、浦戸諸島の一つである桂島で、震災や高齢化により担い手が減少する牡蠣養殖業を存続させ、新たな後継者育成を行う取組みです。

当法人は、島内の過疎化、高齢化が東日本大震災の影響で加速するなか、漁業体験ツーリズムの実施や全国のボランティアと協働した海岸整備活動などにより交流人口の増加を図るなど、島内活性化に向けた取組みをこれまで行ってきました。

こうしたなか、島内の主要産業の一つである牡蠣養殖業は、震災後生産者が減少しており、島内の現役生産者や引退した元生産者など関係者と協力し、後継者の確保、育成を目指します。

震災により全国の漁村に先駆けて、担い手の減少といった課題が顕在化している離島の漁村において、生業(なりわい)の持続に向け取り組むとともに、島内全体の地域活性化に繋がることが期待されている。

 

<屁理屈より行動>

震災後、9人で行っていた牡蠣漁師が高齢、病気で引退。28年末で5人。これでは牡蠣養殖が出来なくなる!牡蠣の共同処理場は1人年間約250,000円で運営して来たが5人なると1人400,000円の負担。そればかりでなく共同でなければ出来ない作業もいっぱいある。それも1人1人の負担が大きくなるなどを考えると、使命感に駆られ牡蠣養殖の後継者育成に取り組むことになりました。


桂島の牡蠣養殖を守るためには、どうしても新たな人材(後継者)が必要なのだ。

居ても立っても、いられず引退者の道具を借りて27年牡蠣養殖を始める。特に11月には例年牡蠣部会で行っていた『牡蠣まつり』が人手不足で中止になった。ならば我々でやろうと立ち上がり『牡蠣まつり』を行い県内外から300名以上の来島頂き大きな自に

なった。

 

勿論、浦戸桂島の牡蠣を守りたかった。2023年頃から、海水温の暖化で牡蠣の死滅、卵巣肥大化などで収穫量が50%以上の減、卵巣肥大化では県にも何回も詠えたが聞いて貰えず。

身体さえ動けば、辞めたくない。桂島の牡蠣を守りたい。だが自然が、体力が、それを許さない。どれだけ仕事が大好きでも、仕事の性質上、一生続けることは出来ないこともあるのです。

 

NHKの報道を見ても、ご覧の通りです。これで「傘寿」過ぎた親爺が挑戦できると思いますか?

 

【NHKの報道から】

冬を代表する味覚“カキ”
世界三大漁場の1つとも言われる三陸沿岸はカキの養殖が盛んで、宮城県は全国2位の生産量を誇ります。しかし、取材で聞いたある研究者のひと言が気になりました。
「このままの状態が続けば、カキの養殖ができなくなる」
「それは50年後、いや10年後かもしれない…」
豊かな三陸の海で何が起きているのでしょうか? 
(仙台拠点放送局記者 北見晃太郎)

 

◇牡蠣養殖について

後継者も2人を採用、売り上げもネット販売で収穫の6割と順況に伸ばし最終年1月は注文が殺到し売るものがない状況でした。死滅、卵巣肥大が6割では個人経営の人は辛抱出来ても企業として経営は誰が考えても無理だ。私としてはやるべきことはやったと言う満足感もある。2人の後継者は残念でしょうが80歳を目前にしていることもあり断腸の思いで辞めることにした。

 

【ブレークタイム】

そろそろ終焉かな「REI君」の聞き耳も終わりかな!

親爺さんは、メチャクチャ寂しがり屋です。若い頃から一緒に呑みに行って、若い人に一度も払わせたことは無いそうだワン。本当は、誰より優しく、思いやりがある人だワン、ただ凄いテレ屋で、人前ではその優しさを絶対見せないんだワン。

今でも「お母さんからの教えを、素直に受け継いでいるんだワン」オイラはそんな親爺が大好きだワン。オイラはほぼ10歳だから、あと5年位は生きているワン、それまで親爺も生きているかな?親爺それまで死ぬなよワン!

 

◇震災後、何らかの補助金、助成金が付いていない期間はほとんどない。何らかの支援で、これまで活動している。補助金、助成金の利用が上手なのかも。震災後、これまで約10件約3,300万円の支援を受けている。補助金、助成金は申請書の書き方にあるようだ。内容が良い悪いではなく、文章が上手い下手でもない。募集要項を良く読み、何を求めているのかをズバリ書き込むこと。

 

◇己を知る!

人様にご迷惑を掛けないで生きて行くには、己を知ることだ。自分の歩んで来た道、自分の人生を振り返ることで、自分を理解できる。自叙伝を書くことで、改めて己を知ることが出来た。反省を込めて「自分の身体は自分だけのものではなく、父母が授けてくれ、自分の子へと残すものであるため、不摂生をして身体を傷めつけることはしてはいけない。養生を学び、健康を保つことが大切である。欲のままに生活するのではなく、生まれてきたことに感謝をし、日々慎ましやかに楽しく生活することが長生きにつながる。」と思う!

 

◇心を定め、心をひとつにする。

例えは良くないが、災害で町が破壊されて、もうダメかといえば、必ずしもそうではない。10年も経てば、破壊もされず、たいした被害も受けない町よりも、かえって綺麗によけいに繁栄していることがしばしばある。

大きな犠牲で、大変な苦難ではあったけれど、その苦難に負けず、なんとしたい一念で、みんなが人一倍の知恵をしぼり、人一倍の働きをつみ重ねた結果が、破壊された町と破壊されなかった町との差をつくりあげるのである。一方はただ凡々。他方は懸命な思いをかけている。

何もなくて順調で、万事が好都合にゆけば良いのだが、この世の中であり、人の歩みである。思わぬ時に思わぬ事が起ることもある。だから、安易に流れず、常に事に備えることが必要である。特にイベントなどを行う時は、関係者、スタッフ一同が同じ方向を向き、人一倍の知恵をしぼり、人一倍の働きを積み重ねて行きたいものである。

そこで大切なのは、ものごとにこだわらないこと、偏った見方をしないこと。さらに、この世の全てはお互いに関係しあい、繋がっているのだということを理解することだ。

 

7.まとめ

◇今年で、昔(数え歳)で言う「傘寿」を迎えました。

波瀾万丈と言ったら、こんな波瀾万丈が有るのでしょうか。兎に角、何処へ行っても波瀾万丈です。戦後の混乱の時代に貧しい家庭で育った。学業は苦手だったが、私は波瀾万丈の中から努力と忍耐力を学び、若い頃から頑固で、自分の信念を曲げなかった。その頑固な精神と不屈の意志が、私を逆境から這い上がらせた。

また、80年の歳月を重ねるなかで、多くの困難に直面した。経済的な挫折、健康問題。しかし、私は決して諦めなかった。波乱の中で、私は自分の強さを見つけた。

人生の波乱を振り返った時、喜びと悲しみ、成功と失敗。私は頑固に生き抜いたことを誇りに思い、関わった皆様に感謝の気持ちを伝えたい。

年を重ねるにつれ、私は知恵を深めた。頑固さは変わらず、皆さんにも影響を与えたと思う。私は社会的活動を楽しみ、人々との交流を大切にした。

特に長生きしたいとも思ったことはなく、若い頃から大酒呑みで、肉体的にも精神的にも無理を重ねて来たので、生きても、せいぜい70歳位だろうと思っていたので自分でもビックリしている。

最近は「人様にご迷惑だけは掛けたくない」と「REI君」との散歩をキッカケに歩行訓練の計画を立てた。

一つ目は往復1㎞を、朝晩2回を1ヶ月続ける。

二つ目は往復2㎞を、朝晩2回を2ヶ月続ける。

三つ目は往復2㎞を、朝晩2回を急ぎ足で2ヶ月続ける。当初はここまでしか決めていなかった。

歩行訓練がキツかったか、1月29日に腰に来た。歩くどころか、立てなくなった。四つん這いで歩く羽目になったが、少しずつ回復し、現在は順況に歩行訓練をしている。

◇人生の味わいとは、個々の経験や感情、学び、そして成長を通じて得られる深い理解や満足感を指すことが多い。それは、喜びや悲しみ、成功や失敗、愛や喪失など、人生のさまざまな側面を経験することによって深まる。これらの経験は、私たちが世界をどのように見るか、どのように感じるかを形成し、人生の価値や意味を見つけるのに役立ちます。人生の味わいは、人それぞれの生活の中で独自の解釈と価値を持つため、その定義は人によって異なるかもしれません。

それは、人生の美しさと複雑さを認識し、それを受け入れる能力かもしれません。それは、困難を乗り越え、挑戦を受け入れ、そして自己を超える勇気かもしれません。それは、人生を最大限に生きること、そしてその過程で得られる深い満足感と喜びかもしれません。それは、人生の全ての瞬間を味わい、それぞれの瞬間から何かを学び取る能力かもしれません。それは、人生の旅を通じて得られる独自の洞察や理解を反映している。

◇小児麻痺で足が悪く、親爺の人生を大きく変えたことは間違いないが、いろいろな人との巡り合い、いろんな人から受けた優しさ、思いやりの数々は障害者故に味わい、体験できたと思います。

そう考えると障害者であったことが、親父を豊かにしてくれた部分もあると思う。右足に改めて、親爺と共にここまで頑張ってくれて「ありがとう!ご苦労さん」と言いたい。

この自叙伝が、皆様に少しでも勇気と希望を与えてくれることを願い。波乱万丈の人生でも、頑固に立ち向かうことで人生を味わい、人並みの生活が出来たのだと確信している。最後まで頑固一徹を貫き、人生最後旅路も有難くお迎えをお待ちします。自叙伝を楽しんでいただければ嬉しく思う。「ありがとうございます!」

 

 

             ◇「オーライ!ニッポン大賞」                              「オーライ!ニッポン大賞」は、都市と農山漁村を往来する新たなライフスタイルの普及や定着化を図るため、日本各地で都市と農山漁村の交流を盛んにする活動に積極的に取り組んでいる団体、個人を表彰するものです。その内、個人に贈られる「オーライ!ニッポン ライフスタイル賞」を受賞した。

 

【ブレークタイム】

はい、「REI君」だよ!

噂によると親爺はエライ酒好きで呑兵衛だそうです。なんでも勤めが終わると一目散に大船渡の飲み屋街に出没し、夜な夜な、呑んでたみたいです。よく電柱に抱き着き大声を出していたらしい。(昔はそんな人居ましたね)

 

※頑固と言われようが、偏屈と言われようが「変えたらいかんものは、変えたらいかん。」のです。

「頑固」とは、人の話をあまり聞かず、自分の考えに強いこだわりを持っている人のことです。頑固な人は、自分の意見を曲げず、自分の考えに強いこだわりを持っているため、周囲の人とのコミュニケーションが難しくなることがあります。頑固な人に共通する特徴とて、自分の意見を曲げない、意思表示がハッキリしている。協調性がない、自分の過ちを認めない。ぶっきらぼう、新しいものを受け入れない、自分が認めた人には優しいなどがあります。ただし、頑固な人には自分の考えに強いこだわりを持っているため、自分の信念を貫くことができるという長所もあります。

 

◇何事も「出会い」からすべては出会いからである海も出会いの喜びに 波をたてて押し寄せてくる。その海辺に立っているとわたくしは浦戸に巡り合った喜びを海と共に語りたくなる。ありがとうございます。

こんな波乱万丈があるかと思うほど波乱万丈だ。兎に角、波瀾万丈の連続だが、腐りません。頑張っていれば、何か起こる。

自分のため、人様のため、世のため、きっと奇跡が起こる。

 

◇ドリームプランプレゼンテーション世界大会(2011.12.10) 

       於 東京ドームシティホール(2,400名収容)

ドリームプランプレゼンテーション(通称:ドリプラ)とは、オリジナルの音楽と写真を掛け合わせた10分間のショートムービーに乗せて、夢の事業が叶った後の世界と、

なぜそれが自分でないといけないのか(諦めない理由)をプレゼンしてもらう。

感動と共感の体験型プレゼンテーション

【内容】    

 ・社会貢献度が高い事業であること 

 ・独自の価値・魅力があること  

 ・事業として発展性があること

 ・実演のための準備ができていること

 ・発表者の人生観とリンクしていること

 ・人々をワクワクさせること

◇ドリームプランプレゼンテーション世界大会への挑戦が人生を変えた。

離島、桂島を世の人に認知して貰うために挑戦したドリプラが親爺人生を大きく変えた。あれよあれよ言う間に「感動大賞」となり、ドリプラ仲間の集まりでは、スターのように扱われ何か偉くなったような錯覚に陥った。

本来なら静かに普通の生活していたと思う。2,000名の観衆の前で夢を披露したのだから、その夢に向かって生きなければと桂島に永住することになった。

良かったか悪しかったかは別に桂島で事業を起こし13年間住みついている。

 

【相互支援会】

プレゼンターになる為には、企画書を作成し、参加費を添えて申し込みして、事前審査を通過したら、以後6ヶ月間にわたる【相互支援会6回】を経て、はじめて前日 の予選会で発表する。

 そうです。簡単ではない。その上【相互支援会】がハンパでない。

参加者はプレゼンター、支援パトナー、ドリメン(アドバイザー)、スタッフ、テーマによって講師、総勢4・50名。場所は私の時は品川区天王洲の日本航空本社の会議室で、玄関から歓迎の派手派手の装飾して迎える。何とも物々しい感じだ。

さて、予選会は東京駅前グラントウキョウサウスタワー(㈱リクルート本社)アカデミーホールである。当日のブログで紹介します。


◇いよいよ『ドリプラ世界大会』です。
12月9日、予選会。グラントウキョウサウスタワー(㈱リクルート本社)アカデミーホールで20組のプレゼンターが登壇して行われ、夕方には8組が選ばれる。
そして明日10日、本選。ドームシティーホールで8人によるプレゼンが行われるのだ。

思い起こせば、7月の会津合宿から始まり5カ月間、来る日も来る日も夢について語り自分を見つめながら感動と共感の『夢』を追い求め今日まできた。
泣いても笑っても、集大成のときがきた。
私は、佐々木さんと言う素晴らしいパートナーに恵まれ、シナリオ、映像、音楽(安達さん)とも立派なものが出来上がった。残るは、私が如何にプレゼンするかである。
やれることはやったので、あとは正々堂々と発表したいと思う。
いわゆる俗に言う「人事を尽くして天命を待つ」と言う心境である。
人事を尽くしているかどうか別に、先の結果をどう考えるかで人間の価値、深さを感ずる。
 悪い結果を心配して、ただ心を労する。  

 結果は天に任せて、心を労しない。
 良い結果を期待し、ワクワクする。

 

各県にそれぞれ実行委員会があり、県単位でも行われている。

私はちょっと前、倫理法人会で「浦戸諸島の夢」をスピーチした時、会員の石川さんから、三浦さんにピッタリの会合があるので是非参加してください。と誘われたのがはじまりである。

会議に参加してみると、仙台ドリプラの実行委員会。その場でプレゼンターの三浦さんですと紹介された。話が違うと思ったが、訳が分からないまま2000年10月17日の東北大学、萩ホールでの仙台ドリプラのプレゼンターにされていた。

仙台ドリプラもそれなりに盛会で、内容的には大変良かったと思う。

そこで一緒にプレゼンターだった佐々木さんが「三浦さん、自分がパアトナーを務めるので世界大会に出場しましょう」と言う。

佐々木さんとは縁もゆかりもなく仙台ドリプラが初対面である。

初対面の人に誘われると言うことは、私のプレゼンテーションを評価してくれた結果と受け止めて受けることにした。

そして、本番まで6回の「相互支援会」を実施・体現して「世界大会」に望む。

いよいよ感動と共感の体験型プレゼンテーション本番である。

 

 

【当日のブログから】

世界大会が終わりました。
大勢の方との出会い、そして感動をいただき有り難うございました。感動大賞をいただき感謝しています。この賞は震災にたいする皆さんの思いと、同情の結果だと思いますが、素直にいただきます。改めて『ありがとうございます』

私にしてみれば、今まで歩んできた道をそのまま、まとめたもので特別素晴らしい夢を抱き描いたわけではありません。

「心を定め希望をもって歩むならば、必ず道は開けてくる」

自分には自分に与えられた道がある。これが天与の尊い道だと思っている。

どんな道か知らないが、ほかの人には歩めない、この道。広い時もあれば、

狭い時もある。上りもあれば、下りもある。坦々とした時もあれば、かきわけ、かきわけ苦労する時もある。それが私に与えられた道なら、有難く進もう。

感動大賞受賞は、良きにしろ、悪しきにしろ、親爺の人生を大きく変えた。だって、あの東京ドームシティホールで2,000名以上の人の前で、私はこう生きて行きますと宣言して感動大賞を受賞した言うことは2,000名以上の人と約束したと同じです。生き方を変えることは約束違反です。

だから、浦戸桂島を去ることが出来ないのです。縁もゆかりも無い島で間もなく15年です。ドリプラは、私の人生が大きく大きく変わった出来事だったのです。

 

◇「全国から、プレゼンの依頼が・・・」

震災で、大きな被害を受けた桂島を全国に知って貰いたいと、私は世界大会前に「仙台ドリプラ」の内容を少し変えて全国行脚した。その最初が、金沢ドリプラだ。

【その時のブログから】

石川県の皆さん、そして北陸地方の皆さん、大震災で石川県に避難されている皆さん、いよいよドリプラ金沢が2日後に成りました。避難されて方はご招待なそうです。ぜひ、ぜひ石川県文教会館にお出で下さい。お待ちして居ります。
ドリプラ金沢でのプレゼンをお引き受けしたのが28日、急遽なので応援支援して下さるのは佐々木さんだけ。その佐々木さんと2回打ち合わせして、私の想いとシナリオ確認しました。その後はメールでヤリトリしながらだが、佐々木さんは東京方面に出張。宿泊先のホテルでパワーポイント、ムービーの制作。こんな強行なスケジュールで制作して居ります。そして明日、夜行バスに乗り込みます。にわか作りですが、被災地仙台から熱い想いだけは伝えます。

 

◆金沢文教会館での「金沢ドリプラ」無事終了しました。メンターカード1名分をご紹介します。「ふるさと」の調べに乗って、次々と写し出される写真、三浦さんのとつとつした語り、全てが夢の愛ランドの世界を表現していたように思います。
〝夢は津波に流されない〟 〝がれきに花を咲かせよう〟
ずっと、覚えていたい言葉を聴かせて下さり、ありがとうございます。

松島は何度か訪れたご縁のある土地です。

いつか必ずまた遊びにいきます。     Y.N 様より

 

その後は「ドリームプランプレゼンテーション世界大会」で感動大賞の内容で全国を回らせていただいた。福岡県、茨木県、東京、東京ドーム・シティホール本番、東京都6本木ヒルズ、富山県(2回)、大阪府、茨木県2回目、宮城県石巻市、岩手県遠野市、それぞれにドラマがあり、忘れられない思い出だ。頂いたメンターカードも2,000枚を超える。

 

 

◇自力で、海水浴場「マイビーチ鬼ヶ浜」周辺の環境整備をする。

  平成24年6月に「鬼ヶ浜ビーチクリーン作戦」を立ち上げ、砂浜に打ち上げられた船(7隻)タイヤ(140本)、流木などを全国からボランティアさん延1,400人以上の応援を得て片付ける。

2012年海水浴場「マイビーチ鬼ヶ浜」として海開きを行い約4,300人の海水浴客で賑わった。「マイビーチ鬼ヶ浜」は公的資金や補助金を受けることなく、全国から集まったボランティアさんとご支援頂いた皆さんの募金でトイレ、シャワー、更衣室、海の家などの施設を造りました。

 

◇海水浴場「マイビーチ鬼が浜」を開設する時、某TV局の「24時間テレビ」から是非支援させてくださいと申し出があり、〇〇テレビの部長さんからも連絡いただいた。「24時間テレビ」の中継が本決まりとなった。当初、規模を小さく海開きしようと思っていたら、中継・支援するのでちゃんと揃えてください。と言うことで大規模にしたが、本番10日前になって、東京の本局の責任者の方が「海水浴場だよ、何か事故でも起きたら、誰が責任を取るんだ」と、鶴の一声で急遽取りやめになり支援の話も取り消しになった。(バカヤロウ!勝手にそっちから持って来た話だろうが・・・)

 

平成25年  7月27日 海水浴場「マイビーチ鬼ヶ浜」海開き(河北新報掲載)

PDFの貼り付けが出来ず、写真にしたらピンボケです。(ごめんなさい。)

 

◇物事の判断基準◇

 この親爺の拙いつたない夢に共感し応援を頂き有り難うございます。

親爺の夢は風光明美で歴史ある浦戸桂島を絶えることなく元気で笑顔溢れる島にする事です。現在進めている「マイビーチ鬼ヶ浜」もその一環です。

ですから物事の判断基準は浦戸桂島に取ってプラスになるかどうかです。プラスになることであればどんな苦難があろうが最後までやり抜きます。

 一度限りの二度とない人生、生きる目標と判断基準を持っていれば怖いものは有りません。皆さんにその生き様が伝われば嬉しく思います。

 

【ブレークタイム】

お待たせしました「REI君」ですよ。

昨年までは週1・2回、呑みに行っていたのですが、オイラを預ける処がないので、今は全くお出かけしません。 そう言えば、家族を盛岡に残して一人暮らしです。女が居るとか、居ないとか、何でも盛岡から追いかけて来た女が居るとか?居たらしいけど「傘寿」になって、迷惑かけることになると悪いと早目に別れたらしいよ。

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◇浦戸桂島の牡蠣を守るため「牡蠣養殖に挑戦」

「江戸時代から続く牡蠣養殖を絶やしてなるものか!」 頑固おやじが旗を振る桂島の島おこしである。それを支援する「みらい基金」の資料を紹介。

 

<リード文>

松島湾に浮かぶ浦戸諸島では、約300年前から牡蠣養殖が営まれてきた。浦戸諸島の一つ桂島でも、かつては牡蠣養殖が盛んだった。しかし、震災による人口減少、担い手の高齢化などの影響で、現在では4名まで減少し存続が危うい状況だ。そこで、牡蠣養殖の伝統を守るために、一般社団法人浦戸夢の愛ランドの三浦さんが旗振り役となり、後継者育成事業を開始した。ゆくゆくは、牡蠣養殖を組織化し、若手は力作業の多い海の仕事、高齢者は種牡蠣の挟み込みや牡蠣剥きなどの仕事という具合に分業を進めて、雇用機会を増やしていくことも視野に入れている。

 

<事業の評価ポイント>

PDFの貼り付けが出来ず、写真にしたらピンボケです。(ごめんなさい。)

 

このプロジェクトは、浦戸諸島の一つである桂島で、震災や高齢化により担い手が減少する牡蠣養殖業を存続させ、新たな後継者育成を行う取組みです。

当法人は、島内の過疎化、高齢化が東日本大震災の影響で加速するなか、漁業体験ツーリズムの実施や全国のボランティアと協働した海岸整備活動などにより交流人口の増加を図るなど、島内活性化に向けた取組みをこれまで行ってきました。

こうしたなか、島内の主要産業の一つである牡蠣養殖業は、震災後生産者が減少しており、島内の現役生産者や引退した元生産者など関係者と協力し、後継者の確保、育成を目指します。

震災により全国の漁村に先駆けて、担い手の減少といった課題が顕在化している離島の漁村において、生業(なりわい)の持続に向け取り組むとともに、島内全体の地域活性化に繋がることが期待されましたので「みらい基金」も後押しを行っています。

 

◇フランス、ブルターニュ地方を大寒波が襲い、水面が氷河のように凍った状態になった後、その後まもなくして牡蠣に疫病(牡蠣ヘルペス)が大流行。ナント80%もの牡蠣が絶滅しかけ、フランスの牡蠣はかつてない危機に瀕しました。

この被害の状況を知った松島湾浦戸種牡蠣漁業協同組合は3年後の1966年に輸送されました。日本のマガキ種はフランスにとっては外来種ではありましたが、世界中の牡蠣の中でも非常に生命力が強く、病気にも耐性が見られたため、導入されたようです。