今朝、

ノートを開いて

ボーっとしていたら、

 


 

「今、目の前にある幸せを、

喜び続けよう」

 

 


そう書いてた。

 

 

 

近ごろ、

 

自分の思考が

未来の心配や先のことに向いているとき

 

それを冷静に見ている目があって目

 ┃ω・๑)ジィー目

 



「幻を見て、不安感を楽しんでいるねぇ。

今ここでしか幸せは感じられないし、

今ここにしか存在できないんだよ」

 

  


そんな声が

お腹の中から聴こえる。

 

赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん



 

そして

ノートの続きに、

 

 

「受け取ってるもの、

たくさんあるじゃん・・!」

 



と書いていた。

 

 

 

 

すると・・

 





あれもこれも、

「奇跡」なんだ。。

 

 


「奇跡」とは、

日常の全てだ・・・

 

 

これがぶわっ

こみ上げてきて。。

 

 


 

奇跡的な生還!

とか

奇跡的な再会!

とか

 



誰もが驚くべき非日常なすんごいこと

を、‘ 奇跡!!’と

呼びがちだけれど。

 

 



「奇跡」とは、

日常の全てだ・・・



 

そして

ノートに書く手が、

止まらなくなり。。

 

 

 

毎日夫と顔を合せることも、

おはようとただいまを毎日

言い合えることも、

 


奇跡が日々

起きているだけだ。

 

 

 

外で雨の音が聴こえる。

この「聴こえる」ということも

 


暖かい部屋で

ぬくぬく過ごしていることも

 


スイッチひとつで

水がお湯になることも

 


夜中でも早朝でも

働いている人たちがいて

社会が回っていることも、

 


私が今ここに存在していること

ここまで生きてこられたことも。

 


 

 

毎日の生活、

日々の日常の1シーンを

切り取るだけで、

 

 

そこには

「奇跡」が広がっている、

と感じる。。

 

 



じーんとしながら

シャワーを浴びていたら、


ふと思い出したことが。

 

 

 


かの有名な本田宗一郎さんが

最初に開発したモーター付き自転車。

 


これは、


いつも遠方まで自転車で買い物に行く

奥さんの負担を減らしたい


という思いから、

生み出されたそう。

 

 



このエピソードがふと浮かび自転車

 





文明の原点は、思いだ・・・


と思い、、

改めてじーんとした。





そしてみんなみんな、



自分が大切にしたいものを

自分が大切にしたいことを、


大切にしたいだけなのではないか。




先日、出産のことで

電話で母と

ちょい揉めすることがありニヤニヤ





ノートに書きながら

「事実」を見ていると

どんどん冷静になってきて真顔




あ!

私には大切にしたいものがあるってことだ!


そして、母もそうだ。





お互いの愛のカタチが

違うだけだ。




「母親にはこうあってほしい」

と期待して押し付けてました。。ニヤニヤ

と気付いたひらめき電球





そして、

「その先の願いは

私も母も一緒だ・・・」



と分かったのです。




(これはまた別記事にもしよう真顔)


(そもそも母を選んで生まれたのは私ですハイ真顔)




「奇跡」も

「日常」も

「特別」も


同じものだった。






いま、目の前にあるものを見る。





「ある」のに見ていないのは

自分だと気付く。





ブログを書いているこの今の

ワンシーンも、


たくさんの「奇跡」で出来ている花火