僕は時々「進むべき道は本当にこれでいいのかな?」「本当にこれがやりたかったことなのかな?」と不安になるときがよくあるんですよね(笑
周りの評価を気にせずにやりたいこと、やるべきことをやる。心の声を聞く。
最近ではこういった精神面、魂的な在り方も重要視される時代になってきており、様々な情報が飛びかっています。
でも、
言葉では簡単だけど、「常識」という枠から出ようとすると「常識」という今まであった指針がなくなり、大海原に一人放り出されるような気分になりますよね。
今まで自分の足で進まなくてもよかったのに、どっちへ進んでいいのかわからない大海原で自分自身が進路をとって自分でその責任を負って進んでいかなければならない。
一歩一歩、進むのが凄く怖い。
そして本当に進んでいる方向がこれでいいのか不安になる。
ワンピースでいったらグランドラインをログポースとかエターナルポースなしで航海するようなものでしょ(笑

だからこそ人生っていう航海にも「指針」が必要になってくると思うんですよね。
僕にとってそれがオステオパシーなのかなぁって思いました。
オステオパシーでは「膜」を通して人に触れることで相手の身体の状態が手を通して伝わってきます。
そして人の身体の組織に入らせてもらうことで、より深い問題までも観ることができる。
「手の感覚を鍛えていくとどんどん深い問題までわかるようになる。」
オステオパシーを始めた頃に先生の方々から言われた言葉。
言われた通りに手の感覚が上がる方法を仲間と一緒に考えたり、練習してみたりと色々やっていくうちに徐々に何となくその感覚がわかるようになってきました。
でも、僕の中ではその「感覚」が全く安定しなかった。
調子が良い時と悪い時の差が凄くあった。
だから施術も全然安定しなかった。
何でこんなに安定しないんだろう?
ずっと自分の中で疑問だった。
でもふと気づいたことがあって、
それは「自分らしく」生きられている時は感覚が良いということ。
僕が感覚を失う時はいつも自分らしくない時だった。
いつの間にか人の目が気になったり、結果を求めすぎたりして、自分を圧し殺している時だったように思う。
人に触れて施術するということはその人の「生きざま」が出ると教えてもらったことがあったんですが、
そりゃ自分の生きざまに嘘ついてたら、相手の身体は信頼してくれないよね。
そんな人に触られたくないよね(笑
だから触らせてもらえない。施術させてもらえない。
なんというか、当然のことでした(笑
だからオステオパシーって自分の客観視ができる、その人の人生の「指針」になるんじゃないかって思ったんですよね。
今嘘ついてるよ。
おかしな方向進んでるよ。
もっと自分らしく進んで。
って人の身体を通して教えてくれてるんじゃないかと。
だからオステオパシーの創始者だったスティル先生も「技術」を残さなかったんじゃないかな。
オステオパシーは「技術」じゃなくてその人それぞれの「指針」になるものだったんじゃないかな。
決して枠にはまることなく、自由にそれぞれが航海してそれぞれの航路を走るために。
そのためにオステオパシーというツールを通して皆が進んでいって大切なことに気づいていって欲しいと願ったんじゃないかな。
と、そんなことを思ったのでした(笑
