タバタノリコさんのこのブログで、
ハッと思ってね。
私なりに、
考えてみたんだ。
長年、音とともに在る者として。
闇 そして
暗
これらの漢字に
なぜ音という字が含まれているのかを。
別に何もまだ調べてないし
根拠はないから、
ただの個人のひとつの考えだと思って読んでね。
闇も暗も、
光のない状態。
光がない
ということは
目で見ることができない世界。
では、
目で見ることができない世界を
一体何で見ることができるのか?
それが、私は
音
なんだと思うのです。
音で、光のない世界は
「みる」ことができる。
観音さま
って、音を観ると書くのは
なにかありそうだね。
私は仏様のこと全然詳しくないから
なんで「観音」さまは
「観音」と書くのか知らないけれど。
(畏れ多いことに、たまに、観音さまみたいだと言われます。多分お団子頭と輪郭が大きい)
実際、目の見えない人というのは
自分から発した音の変化で
どのくらい先にものがあるのかを判断していると聞いたことがある。
それを知った時、
「音で測っているのか!」って
心底感心したものだ。
目の見えない人が、
聴こえる音から様々な情報を得ているのは
事実だろう。
というわけで、
闇という字にも
暗という時にも
「音」という字が含まれるのには、
私はそんな理由を感じたのでした。
実際、音は目には見えない。
媒体を通じて可視化はできても、
”音そのもの”はどうやって見るのか
私は知らない。
闇と音は、
切っても切れない関係性にあるのだろうし
音は闇とともにあるのだろう。
音は闇を旅する際の重要なガイドとなり、
音というものは
「光」そのものになるのかもしれない。
音は
どんなときも、あなたのそばにいる。
どんなあなたでも、ずっと一緒にいる。
音 というものは
光 そのものでもあり
ゆるし、なのかもしれない。
声のオンライン講座「うたうみ」
もうすぐ第1期が修了する、そんなタイミングですが
私は、
自分から発せられる”音”である
自分の「声」を通じて
1人でも多くの人が
自分の声に愛しさを感じてもらえたらって思ったし
声を通じて、自分をゆるしてあげてほしいなって思ってた。
実際、
たくさんのうたうみさんたちが
どんどん自分をゆるしていっては
世の中に「私」を解き放つ姿を
見せて頂きました。
これからもどんどん
自分をゆるしていけるはずで
自分を解き放っていくんだろうな。
自分の声と、しっかり繋がり続ける限り。
声は、音。
音は、光。
わたしたちは、光。

次期講座は未定です
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