わたしは弾き語りを2010年の12月から始めたが

一向にギターが下手だ。
 
ギター自体はなんと、14歳からやっているのに
へた。
 
セーハもままならないほど。
(ひどいな)
 
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それでも、
弾き語りを続けているのは
いや
続けられているのは
 
私の心臓に毛が生えているからかもしれないけど
 
私自身が、
”どんな自分も許している” から
というところが大きい。
 
 
その
自分への許可力。
 
 
 
自分でも
 
なんでこんなに
許せるんだろう?と
 
不思議に思うことがあった。
 
 
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普通だったら、やらないよね。
 
この歳だったら、もうやめておいたほうがいいよね。
 
この程度だったら、やらないほうがいいよね。
 
今の日本だったら、やめておいたほうがいいよね。
 
。。。
 
 
やらない理由、
できない理由、
やめる理由、というのは
 
「やりたいこと」に対して
次々と浮かんで来る。
 
 
それで
やらない、やめる、という選択も
もちろん間違ってはいない。
 
私だって
「やらない」を選ぶときは、ある。
 
 
気が向かないときだ。
 
 
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気、というのは便利な言葉。
 
それで通じる日本って
つくづく面白い風土。
 
 
 
気というのは、ひとつにエネルギーで
 
気が向かない、という場合
そこに自分のエネルギーを注ぎたいと思わない
ということ。
 
エネルギーというのは、
生命力であり、時間でもある。
 
 
ようは、死ぬ時に
それをやらない選択をしたら後悔しそうなことは
私はどんな条件でも、「やる」を選ぶ。
自分にそれを選ばせてあげる。
 
 
 
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人は儚いから。
 
自分が思っている以上に、
人生ってあっという間だと思うんだ。
 
 
私は割と、常に死を想いながら
生きているのかもしれない。
 
"Memento mori."
 
生をより輝かせる、素敵な言葉だと思う。
 
 
 
 
(2016年の記事、加筆更新)
 

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