31年間のサンフランシスコ・ベイエリアでの暮らしを卒業。

岐阜に戻り年金生活をスタート、4年目に入りました竜桃ママです。

 

そもそも中国の知識が全くなかった私です。

Amazon Prime で秦の統一のドラマを観て出かけました。

が、実際に着いてみると逆に疑問が湧いてきました。

 

秦の都は咸陽(始皇帝 紀元前221年 日本では弥生時代)

漢の都は長安(劉邦、武帝 紀元前206年~8年と25年~220年 日本では弥生時代)

唐の都は長安(太宗 618年~907年 日本では奈良時代~平安初期)

 

 

実際に来てみるとゴッチャになる、当たり前だけど。

そもそも西安という街の近辺で色々起こっているのです。

 

で、何が言いたいかと云うと(パスしてもらっていいです。)

 

秦の始皇帝の墓は、秦の都、咸陽にあらねばならぬ!と思っているのに

西安を挟んで咸陽と兵馬俑が反対側にあるのはどうなってるんだ?

、、、、それだけ秦が桁違いにデカかったと思うしかない。

咸陽にあった宮殿とお墓の間にたまたま長安(西安)という都ができてしまったと理解するしかない。

そして、後から咸陽が小さくなってしまった、、、仮説。

 

 

兵馬俑博物館には埴輪の兵隊さんたちだけではなく

始皇帝陵から出土した二種類の「銅車馬」がありました。

皇帝の馬車です。

始皇帝が来世でも同じ生活ができるようにと

青銅でできた2分の一の精巧な作品です。

2200年前のものですよ!

これも1980年に発見されました。

 

始皇帝の御車2号(安車)

魅了されます。

 

この馬の活き活きとしたすばらしさ! 当時の技術の高さを感じます。

傘建ての2号、立車

なんかお洒落。

 

すごい、すごい!

 

これも同じく兵馬俑から出土しました。

でも、、、

埴輪の兵隊さんたちは背が高くて立派なのに

しかも8000体も出土してるのに

 

主役の始皇帝の乗るこの御車はたった2分の1、、、、

なぜに?

 

本当はもっと精巧でデカいのがまだ出土してなかったりして、、、仮説。