「怒り」というのは、コミュニケーションの一形態であり、なおかつ怒りを使わないコミュニケーションは可能である。

つまり、どんなときでも「怒り」は使う必要がないと考えることができます。


コミュニケーションは時として非常に時間かかったり面倒なこともあります。

そこで彼らが最後に選択するコミュニケーション手段が暴力です。



【幸せになる勇気 ダイヤモンド社 岸見一郎、古賀史健著】から、わかりやすい話がたくさんあるので、引用していきます。引用は青字表記します。

暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段なのです。

これは道徳的に許されないという以前に、人間としてあまりにも未熟な行為だと言わざるをえません。

われわれ人間は、未熟な状態から成長していかなければならない、という原点に立ち返るのです。



怒ることと叱ることは同義である。

どちらも安直なコミュニケーション手段の暴力と考えます。

戦争も暴力、子どもを叱るのも暴力です。

言語によるコミュニケーションを放棄して安直な手段に出た結果です。

暴力に訴えてしまえば、時間も労力もかけないまま、自分の要求を押し通すことができる。もっと直接的に言えば、相手を屈服させることできる。


ここから子どもを叱る話を書いてたんですが、今回は戦争の話だけにして、教育の話はまた別に書きます。


怒らずに、暴力を使わずに平和な世界、平和な解決を目指した方がいいと思うんですね。

暴力が必要な人にとっては、ただのきれいごとや理想論にしか聞こえないかもしれません。




以前「仁」というドラマがありました。

現代の医者が幕末の江戸時代にタイムスリップする話です。

現代からタイムスリップした医者が、日本人同士が戦をしているのをみて、「おかしいですよ」って言うんです。

戦のない現代の日本人からみると、日本人同士が殺し合いをしているのを、それが当たり前の世界は、おかしい、という感覚なんです。


主人公は、江戸時代であの坂本龍馬と出会います。

こんなやりとりがありました。


龍馬さん、やっぱり変わりましたよ。
前の龍馬さんなら、敵、味方なく助けたと思います。
でも今は薩摩と長州のことしか考えてない。


先生、それは違っ、、、


やってることは武器商人じゃないですか!
あの人達だって、龍馬さんが売った銃で撃たれたのかもしれないんですよ!


わしゃあこの国を思うからこそやってるがじゃ
何べんも言うけんど、これはどういても必要な戦ながじゃ。


戦だけが国をまとめる手段なんですか?
そんな方法で まとめるしか能がないなら
政権をとったってうまくいくはずがない!
うまくいかなくなったら、また戦を繰り返すだけなんです。
暴力は暴力を生むだけなんです!


先に殺されたら!それでしまいながじゃ・・・
わしゃあ、殺されかけ、思たがじゃ
どんなええ考えを持っとちゃちい、ばっさり殺られてしもうたら、それでしまいながじゃ
まず相手を力で従わせんと、考えを述べることもできん!
世を動かすことはできんがじゃ!


戦争する人は、みんなそういうこと言うんです。


先生は 特別なお人じゃき、きれいごとばっかり言えるがじゃ!




「戦争する人は、みんなそういうこと言うんです。」

暴力を使う人はみんなそうかもしれない。

「怒り」を使うのもそう。

それは必要なことだとか、仕方ないことだとか。

でもそれは、他のやり方を知らないだけなんですよね。

戦が当たり前の時代の人たちには、暴力を使わないで国をまとめるなんてのは、ただのきれいごとにしか聞こえないんですよね。

でも現代の日本は、戦なんてしてないですよね。とっても平和ですよね。

世界だってできるはずだと思います。

まだまだ未熟だから、安直な暴力を行使しているだけで、人類はずっと進化はしていくから、いつか戦争は必要ないというレベルまでいけるはずです。

戦争のない世界の未来人が現代にきたら、仁と同じような感じになるんじゃないかな。

未来人に「戦争するのはおかしいですよ。」って言われるかも。

「いやいや、戦争なんてなくなるわけないじゃん」と現代人の多くは言うでしょう。

戦争があるのが当たり前のレベルの我々だから、戦争がなくなるのは不可能に思えるだけじゃないのかな?

未来人からみた我々は、日本で戦があるのが当たり前の時代の人たちと同じなのかもよ。

その時代の人だから、戦のない日本なんて信じられないだけ。



心理学者アルフレッド・アドラーは、戦争はいつかなくなると人間を信じていた人でした。

アドラーが自らの心理学を「個人心理学」と名付けた翌年に、第一次世界大戦が勃発しました。


元同じグループのフロイトなどは、〝人間には生命に対する破壊衝動がある”など、人間心理の闇の部分を見ました。

そういった人間の心理に注目すると、目の前の戦争をみて、人間にはそういう衝動があるから仕方ないと考えるしかないのかもしれません。

人間が、破壊、殺人、暴力を希求する存在ならば、戦争は仕方のないことなのだと。




しかし、アドラーは、いかにすれば戦争を食い止められるかを前向きに考えました。

人間は戦争を、殺人や暴力を希求する存在なのか?そんなはずはない。


青年
でも、いまもなお、世界中で戦争が起きています。

哲人
たしかに、アドラーの理想はいまだ実現されていません。実現可能なものかどうかもわからない。ただし、その理想に向かって前進することはできます。

個人としての人間がいつまでも成長を続けられるように、人類もまた成長を続けられるはずの存在なのです。現状の不幸を理由に、理想を捨ててはいけません。

青年
理想を捨てなければ、いつか戦争もなくなると?

哲人
マザー・テレサは「世界平和のために、われわれはなにをすべきですか?」と問われ、こう答えました。

「家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」

アドラーの共同体感覚も同じです。世界平和のためになにかをするのではなく、まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と、仲間になる。そうした日々の、ちいさな信頼の積み重ねが、いつか国家間の争いさえもなくしていくのです。

青年
目の前のことだけを考えていればいいのですか!?

哲人
いいも悪いも、そこからはじめるしかないのです。世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならない。

自分を棚に上げて全体の話をするのではなく、全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出すのです。





マザー・テレサのこういう言葉もあります。

反戦運動などには参加しません。ですが、平和活動には喜んで参加します。


戦争反対と怒るのは、暴力反対といいながら暴力を振るうようなものです。

戦争のない平和な世界を目指すなら、まずは自分が暴力を振るわない。

「怒り」も暴力です。

「怒り」というのは、コミュニケーションの一形態であり、なおかつ怒りを使わないコミュニケーションは可能である。

まずは自分が暴力を使う必要はないと理解し、暴力(怒り)を使わないことが大切だと思います。

世界平和のためにできることは、まず自分から、そして身近な人から大切にしていくことが最善ではないでしょうか。


自分を棚に上げて全体の話をするのではなく、全体の一部である自分が、最初の一歩を踏み出すのです。



斉藤一人さんのこの話を初めて聞いたとき、はっとしました。

戦争起こす人、人殺しする人、機嫌のいい人は一人もいないんだよ

犯罪起こす人でも、みんなイライラしてんの



言われてみるとたしかにそうだと。

ということは、戦争を起こさないようにするには、みんなが機嫌がよければいいんだ。

世界平和のためには、みんなが機嫌よくいれればいい。

それで自分ができることはなにか?

まずは自分が機嫌よくしている。イライラしたり怒ったりしないこと。

そして周りの人にもそれを感染していけたらいいと考えました。


イライラしない、怒らない話をよくブログで書いてますが、大きく言えば、世界平和につながる一歩だと言えるかもしれません。

まあ、そんな大袈裟には考えていませんが、イライラしたり怒る人が減っていけばいいなと思って、一生懸命ブログも書いています。

いつもありがとうございます。

ブログの他にも相談やカウンセリングをすることもあります。

大きなことはできませんが、自分ができることをやる。




誰かが始めなければならない。

他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。

私の助言はこうだ。

あなたが始めるべきだ。

他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

アルフレッド・アドラー




今後書きたい話メモ。

①アドラー心理学の子どもを叱らない育て方の話。

②幸せな大富豪の「怒りの感情を起こらないようにするには?」。幸せな大富豪も、プログラムを変えている話。

③大富豪や成功者でも、幸せな人と幸せじゃない人がいます。だから、大富豪や成功者から学ぶのではなく、幸せな人から学びましょうという話。

④心理学の研究でわかった、お金と幸福度の関係。お金で幸せになれるの?という話。

⑤科学的な幸福度の高め方。科学的に証明されているんだからそれをやればいいんじゃない?という話。みんなで幸福度を高めていこう。