「あまり怒らない人の方が実は怖いんだ」と言う人はいます。
そう言う人の理由は、
・怒るのを我慢しているから、いつか爆発する可能性があって危ない
・他人に興味がないから、怒らないんだ
・あまり怒らない人は、自分の感情を隠している人で、何を考えているかわからないから危ない
など。
たしかにそういう人もいますよね。
でもそうじゃない人もいます。
上記の話の前提は、
怒らない=怒るのを我慢している
こうなっていますよね。
この前提で考えると、我慢している人はいつ爆発するかもしれないし、表向きはニコニコしていても、心の中では怒っていてすごく恨んでいる、なんてこともあるかもしれない。
それはたしかに怖いです。
でも、あまり怒らない人で我慢してない人だっていますよ。
▼怒らない人は、怒るのを我慢しているとは限らない
こちらの記事で聞いたように、
Stimulus Response(刺激反応)
怒りの感情が出るという反応は、刺激と反応の間にあるもので決まります。
今回は、刺激と反応の間にあるものを、プログラムという言い方を使います。
よく怒る人(表に出さない人でも)は、刺激に対して怒るプログラムをたくさん持っている人。という言い方もできます。
怒る出来事があって、怒る人と怒らない人がいるわけではない。
本当の意味であまり怒らない人というのは、怒る出来事があまり起こってないんです。
よく怒る人は、怒る出来事がたくさん起きている。
まったく同じ環境で同じ出来事を体験しても、自分の中のプログラムの違いで、怒る出来事が多い人と少ない人の差が出ます。
ここはわかりにくかもしれません。
はじめから説明します。
▼怒る出来事とは何か?
この世界で起こる出来事は、いいも悪いもないし、嬉しい出来事、怒る出来事でもないです。
その出来事が発生した時点では中立です。認知によってはじめて意味が出てくる。
その出来事を認知した瞬間に、自分の中にあるプログラムが働いて反応が出る。
その反応が怒りの感情だったら、その出来事は、怒る出来事だとはじめて言えることになる。
その出来事は、はじめから怒る出来事として生じているものではない。
怒る出来事があったら、怒りの感情が生まれたわけじゃなくて、元々は中立の出来事だけど、怒りの反応が起きたから、目の前で起きた出来事は「怒る出来事」だと認識されているということです。
時系列で説明するとこうなります。一瞬のことです。
・怒る出来事を体験したとき(Aさんの場合)
中立の出来事(刺激)が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(怒りの感情生まれる)⇒怒る出来事を体験したと認識する
・嬉しい出来事を体験したとき(Bさんの場合)
中立の出来事(刺激)が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(嬉しい感情生まれる)⇒嬉しい出来事を体験したと認識する
はじめの中立の出来事はまったく同じ出来事です。
はじめから怒る出来事なんてものは存在せず、自分のブログラムによって怒る出来事として認識されるかどうか決まるということです。
怒る出来事が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(プログラムによって怒りの感情が出るか出ないか決まる)
こういうことではないんですね。
具体的な例をあげます。
アメブロのコメントで以前は、スパムコメントがよくありました。
そういうコメントも怒る人と怒らない人がいます。
こんな感じのコメントです。
「素敵なブログですね。私はこういうブログをしていますので、よかったら来て下さい♪」
プログラムを使い自動で色んな人のブログにコメントを付けて回る。
この話で説明します。
・怒る出来事を体験したとき(Aさんの場合)
コメントを読む(刺激)⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(怒りの感情生まれる)⇒怒る出来事を体験したと認識する
Aさんのプログラムの中身はこういうものが入力されている。
・コメントでこういうものはスパムコメントであるという知識
・スパムコメントは迷惑
・わざわざ削除するのが面倒
・読んでないのに読んだようなコメントでだまそうとしてる感じが嫌
など
コメント読んだ瞬間に、こういうプログラムが作動して、反応(怒りの感情がでる等)が起こる。
別の人のプログラムで、「コメントでこういうものはスパムコメントであるという知識」これがない人だったら、怒りの感情は起きないですよね。
その人の認識では、普通のコメントです。怒りの感情はでません。怒りの感情を我慢しているわけでもありません。
コメントを読む(刺激)⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(嬉しい感情生まれる)⇒嬉しい出来事を体験したと認識する
この人の場合は、普通にコメントに返事することもある。
「素敵なブログと言ってくれてありがとう( ´ ▽ ` )私もブログ訪問させて頂きました。また行かせて頂きますね。」
素敵なブログと言われて嬉しい出来事があったということになります。
同じ出来事を体験しても、プログラムによって、今日はいい出来事あったなぁとなる人と、今日は嫌な出来事があったなぁとなる人がいる。
スパムコメントで怒る人が、プログラムに「金儲けは汚いこと」という価値観が入っている人だとします。
それで、スパムコメント先が金儲けやっているところだとしたら、さらに怒りゲージは上がりますよね。
怒りの度合いも、プログラムによって違ってきます。
ということは、プログラムを変えることによって、怒りの度合いを下げることも可能です。
「金儲けは汚いこと」という価値観が変われば、その分の怒りの度合いは下がります。
これは、出てしまった怒りの感情を抑えたりコントロールすることとは違います。
あくまで考え方や価値観を変えただけですから、自然と出る感情はコントロールしようとはしていない。
プログラムを変えて、自然とでる感情が変わっただけです。
あまり怒らない人(我慢もしてない人)は、その人の世界では、怒る出来事はあまり起きてない。
平和な世界です。
よく怒る人は、その人の世界では、怒る出来事がよく起きている。
あまり平和じゃない世界です。
よく怒る人(表に出さない人でも)は、刺激に対して怒るプログラムをたくさん持っている人。
その世界を作っているのは自分自身です。
自分自身で作っているのだから、変えていくこともできます。
おまけ的な話。
▼スパムの語源
語源は「SPAM」ランチョンミート(ソーセージの材料を腸ではなく型に詰めたもの)。
アメリカではとりあえずの贈り物と言えばスパムが定番だそうです。
それで、「またスパムが届いたよ。そんなにいらねーよ」ということから、勝手にどんどん送り付けられるメールをスパムメールなどと言うようになったそうです。
しかし、SPAMが超大好きな人にとってはどんどん送られてくるのは嬉しいですよね。
スパムメールやスパムコメントも、はじめはただのメールやコメント。自分が迷惑だと思ったときにはじめてスパムと呼べる。ということが言えるかと思います。
そう言う人の理由は、
・怒るのを我慢しているから、いつか爆発する可能性があって危ない
・他人に興味がないから、怒らないんだ
・あまり怒らない人は、自分の感情を隠している人で、何を考えているかわからないから危ない
など。
たしかにそういう人もいますよね。
でもそうじゃない人もいます。
上記の話の前提は、
怒らない=怒るのを我慢している
こうなっていますよね。
この前提で考えると、我慢している人はいつ爆発するかもしれないし、表向きはニコニコしていても、心の中では怒っていてすごく恨んでいる、なんてこともあるかもしれない。
それはたしかに怖いです。
でも、あまり怒らない人で我慢してない人だっていますよ。
▼怒らない人は、怒るのを我慢しているとは限らない
こちらの記事で聞いたように、
Stimulus Response(刺激反応)
怒りの感情が出るという反応は、刺激と反応の間にあるもので決まります。
今回は、刺激と反応の間にあるものを、プログラムという言い方を使います。
よく怒る人(表に出さない人でも)は、刺激に対して怒るプログラムをたくさん持っている人。という言い方もできます。
怒る出来事があって、怒る人と怒らない人がいるわけではない。
本当の意味であまり怒らない人というのは、怒る出来事があまり起こってないんです。
よく怒る人は、怒る出来事がたくさん起きている。
まったく同じ環境で同じ出来事を体験しても、自分の中のプログラムの違いで、怒る出来事が多い人と少ない人の差が出ます。
ここはわかりにくかもしれません。
はじめから説明します。
▼怒る出来事とは何か?
この世界で起こる出来事は、いいも悪いもないし、嬉しい出来事、怒る出来事でもないです。
その出来事が発生した時点では中立です。認知によってはじめて意味が出てくる。
その出来事を認知した瞬間に、自分の中にあるプログラムが働いて反応が出る。
その反応が怒りの感情だったら、その出来事は、怒る出来事だとはじめて言えることになる。
その出来事は、はじめから怒る出来事として生じているものではない。
怒る出来事があったら、怒りの感情が生まれたわけじゃなくて、元々は中立の出来事だけど、怒りの反応が起きたから、目の前で起きた出来事は「怒る出来事」だと認識されているということです。
時系列で説明するとこうなります。一瞬のことです。
・怒る出来事を体験したとき(Aさんの場合)
中立の出来事(刺激)が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(怒りの感情生まれる)⇒怒る出来事を体験したと認識する
・嬉しい出来事を体験したとき(Bさんの場合)
中立の出来事(刺激)が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(嬉しい感情生まれる)⇒嬉しい出来事を体験したと認識する
はじめの中立の出来事はまったく同じ出来事です。
はじめから怒る出来事なんてものは存在せず、自分のブログラムによって怒る出来事として認識されるかどうか決まるということです。
怒る出来事が起きる⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(プログラムによって怒りの感情が出るか出ないか決まる)
こういうことではないんですね。
具体的な例をあげます。
アメブロのコメントで以前は、スパムコメントがよくありました。
そういうコメントも怒る人と怒らない人がいます。
こんな感じのコメントです。
「素敵なブログですね。私はこういうブログをしていますので、よかったら来て下さい♪」
プログラムを使い自動で色んな人のブログにコメントを付けて回る。
この話で説明します。
・怒る出来事を体験したとき(Aさんの場合)
コメントを読む(刺激)⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(怒りの感情生まれる)⇒怒る出来事を体験したと認識する
Aさんのプログラムの中身はこういうものが入力されている。
・コメントでこういうものはスパムコメントであるという知識
・スパムコメントは迷惑
・わざわざ削除するのが面倒
・読んでないのに読んだようなコメントでだまそうとしてる感じが嫌
など
コメント読んだ瞬間に、こういうプログラムが作動して、反応(怒りの感情がでる等)が起こる。
別の人のプログラムで、「コメントでこういうものはスパムコメントであるという知識」これがない人だったら、怒りの感情は起きないですよね。
その人の認識では、普通のコメントです。怒りの感情はでません。怒りの感情を我慢しているわけでもありません。
コメントを読む(刺激)⇒プログラムが作動する⇒反応が起きる(嬉しい感情生まれる)⇒嬉しい出来事を体験したと認識する
この人の場合は、普通にコメントに返事することもある。
「素敵なブログと言ってくれてありがとう( ´ ▽ ` )私もブログ訪問させて頂きました。また行かせて頂きますね。」
素敵なブログと言われて嬉しい出来事があったということになります。
同じ出来事を体験しても、プログラムによって、今日はいい出来事あったなぁとなる人と、今日は嫌な出来事があったなぁとなる人がいる。
スパムコメントで怒る人が、プログラムに「金儲けは汚いこと」という価値観が入っている人だとします。
それで、スパムコメント先が金儲けやっているところだとしたら、さらに怒りゲージは上がりますよね。
怒りの度合いも、プログラムによって違ってきます。
ということは、プログラムを変えることによって、怒りの度合いを下げることも可能です。
「金儲けは汚いこと」という価値観が変われば、その分の怒りの度合いは下がります。
これは、出てしまった怒りの感情を抑えたりコントロールすることとは違います。
あくまで考え方や価値観を変えただけですから、自然と出る感情はコントロールしようとはしていない。
プログラムを変えて、自然とでる感情が変わっただけです。
あまり怒らない人(我慢もしてない人)は、その人の世界では、怒る出来事はあまり起きてない。
平和な世界です。
よく怒る人は、その人の世界では、怒る出来事がよく起きている。
あまり平和じゃない世界です。
よく怒る人(表に出さない人でも)は、刺激に対して怒るプログラムをたくさん持っている人。
その世界を作っているのは自分自身です。
自分自身で作っているのだから、変えていくこともできます。
おまけ的な話。
▼スパムの語源
語源は「SPAM」ランチョンミート(ソーセージの材料を腸ではなく型に詰めたもの)。
アメリカではとりあえずの贈り物と言えばスパムが定番だそうです。
それで、「またスパムが届いたよ。そんなにいらねーよ」ということから、勝手にどんどん送り付けられるメールをスパムメールなどと言うようになったそうです。
しかし、SPAMが超大好きな人にとってはどんどん送られてくるのは嬉しいですよね。
スパムメールやスパムコメントも、はじめはただのメールやコメント。自分が迷惑だと思ったときにはじめてスパムと呼べる。ということが言えるかと思います。