論文は、一つで全てを証明するものではなく、発見と可能性を知らしめるもの | ワーキングマザーのキラキラセカンドライフ〜美人ママの作りかた〜

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小保方晴子さん関係のニュースがまた報道されてますね。
論文の不正が確定したとか。

理研の、組織としてのうんたらかんたらは
もう、
論外!

なのであれこれ言及しませんが

そもそも研究論文ってなんだ!
という視点が
報道にはあまりにかけているように見えるので、

元化学者の立場から。


論文って、基本的には可能性があることを証明して発表するもので

完全に全ての条件が確定されていなくてはいけないものではありません。
だいたい、一つの研究テーマに対して、
何本もの論文がシリーズで出ていくのが普通です。

だから、
この論文がウソかホントか!⁉︎
という議論って、
研究者からすると滑稽…

条件が詰められてないとかはあるけど。
それは、どちらかというと、
論文としての評価レベルに関わることであって、

小保方晴子さんの論文に、例え不備があったとしても、
完全に全部がウソでない限り、論文自体を否定したり、
ましてやその研究そのものを否定したりって、
あり得ないです。

どこぞの共同研究者の方が、
本当に(STAP細胞が)存在するのか確信が持てない
みたいな発言してましたが、

だったら学会とかミーティングとかで
徹底的に議論しろよ!

です。
してるはずだもん。

研究は、「シロかクロか」ではありません。

人間に到底理解できない未知の現象を、
少しずつ、少しずつ、明らかにして、
自分たちの生活に応用できるようにするように探る、
長い長い道のりの一つ。

小保方さんが、どこかで研究を続けてくれることを、
切に祈ります。