みなさん、おはようございます。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます!
神軍リクルーターロニサランガヤ

■世界の夜明け
真理から出発した真の日本神道の超科学的指導原理!俄(にわか)な輸入で消化しきれない物質文化
日本は、「神国」と言って、「惟神(かんながら)の国」と言われてきた。また、政治を「祭りごと」と称していたように、祭政一致の国柄であった。
そこに、民族の結集ができ上がり、環境の関係もあったが、有史以来三千年もの間、敵に破られたことがなかった。世界に類のないことである。
しかも、極めて短い間に、欧米の進んだ文化を吸収することができたことは、よほど優れた民族であることを証明している。
德川三百年の鎖国が続いて、封鎖されていた間に、西洋の物質文化は非常な発達を遂げていた。明治時代に入り、開港とともにこの欧米の文化が俄に輸入されると、その進歩した物質文化に大和民族が眩惑され、それをとり入れることに真剣になって、何をおいてもみな全力を挙げてその方へ集中してしまった。
■物質科学では平和と幸福は得られぬ
しかし、この急速に吸収してしまったことが、かえって大きな弊害をもたらすに至った。欧米の方は、徐々に物質文化が進んだために、信仰と物質文化とが並行してきたが、日本はわずか四、五十年の間にほとんど文明国と対等のところまで追いついてしまった。そこに、日本民族の優秀性を見ることができるのであるが、惜しいことに、「神国日本」でありながら、目に見えない、手に触れないものは非科学的迷信のように思って、そういう観点に立って教育を施してきたから、国民全体が極端な無神論者になり、遂に思想の拠りどころを失い、今日では日本民族ほど「神の道・自然の法則」から遊離した者はいない。かつては、神国を誇っていた日本が、今はもう社会のどの方面にしても混乱と矛盾を引き起こし、古来からの自国の特長を見失って、全く収拾がつかなくなってしまったのが、現在の姿である。急激に輸入された西洋の物質文化というものは、微に入り細にわたって末端へ末端へと分析していくものであって、永久に中心原理というものを把握することができなくなっている。ところが、東洋の思想の「神の道・真理」は、昔も今も変わらない「一元的、超科学的、神の実在」を認めて、そこに統一が得られていた。何にしても、何を行なうにも、中心基点、中心原理を見失わず、そこに立脚していくことが肝要であるが、物質文化にしても、この中心を外れないでとり入れていく時に、はじめて生きた文化ができ上がる。
■物心の調和とれて平和と幸福来る
ところで時代は、「夜の時代」から「昼の時代」へと大転換をしている。明治初年ごろまではまだ夜の時代で、明治時代から昼の時代へと転換している。今までの既成宗教は、夜の時代においては、それで満足が得られていた。それは、暗黒の闇路を照らす灯台の役割をしていたからである。しかし、昼の時代が来て、今日のように物質科学文化が芽を吹いてくると、ただ観念的な、自己満足的な従来の宗教では、到底現実に即応することが出来なくなってきた。それはまた、月や星の光が昼になって、太陽が雄姿を現わしてくると光を失ってしまうのと同様である。明治以降は、昼の時代に入ってきたので、それまでの既成宗教は光を失ってしまい、今はもう、世界的に拠りどころがなくなってしまっている。この際、総合原理、精神と物質の分かれるもう一つ奥の中心基点に立脚して、そこから再出発した指導原理を把握してそして立ち上がる以外、拠りどころを失った今日の混乱を救う道はない。そうすることによってはじめて、既成宗教が求めようとして得られなかった理想が得られる。さらに、それによってのみ、現代の物質科学がいかに発達しても使いこなし得るだけの根本原理が得られるのである。
■奇蹟によってそれを実証する真の日本神道
しかし今までは夜の時代であり、時が到来しなかったから、その物心を超越した総合根本原理というものは、人類発生以来、いまだ到達できていなかった。だが、今はすでにそれが得られる時期に到来している。
真の日本神道によってそれが遂に把握され、同時に現象の上にも実証されるに至った。それは、現代の物質科学が得ようとして得られなかった、究極のところへ到達したからである。この原理法則をもってしてはじめて、不自然を合理化し、矛盾が解消して、個人の上では無病息災、事故や災難から逃れ、いかなる業病もたちどころに消えていく。また、国際関係においても、この理法を押し広めていく時に、各国間の対立・摩擦が解消し、民族や国境を超越して、真に共存共栄が確立される時期が到来した。もしこの際、この総合根本原理をもってせずして、この中心原理に順応することができないならば、「破滅」以外にない。言い換えれば、いかに物質科学が進歩しても、それを使いこなす人が精神的に目覚めなかったなら、自らのつくった文化によって、かえって自壊作用を起こして滅亡せざるを得ない。
■いかなる説明も実証に勝るものなし
また、既成宗教は非科学的唯心論で、安心立命の範囲内から出られないでいる。それはあたかも、アヘンやモルヒネ患者に等しく、それではこの物質科学をうまく操縦することはできず、今日の混乱を乗り切ることは不可能である。さらにまた、今日の物質科学文化だけに頼っても、その半面を持たないから、真に、時代に適応した真理を把握することができない。文化の進むにつれて、ますますそれに正比例して災いが拡大し、終いには、人類自身がつくった文化によって自壊作用を引き起こすほかなくなってしまった。そしてその危機は、破滅寸前のところまで迫ってきているのである。
今度、真の日本神道によって開拓されている根本原理は、精神と物質の分かれる、さらに奥にあるもので、言わば「実在の原理」であり、宗教的に言うところの「神の道」、哲学的に言えば「真理」である。そこに立脚して出発し、右に精神文化を、左に物質科学文化と、そして両方があいまって調和を保って操縦する時に、今日の対立・摩擦が解消され、そうしてはじめて、これまで得ようとして得られなかった「地上天国・現世極楽」が得られるのである。今日まで人類が求めようとして実現できなかった一切のことが、ここにはじめて達成することができる時に、際会したのである。
その現われが、真の日本神道で日々起こっている「奇蹟現象」である。医学でどうにもならない業病が片っ端から救われ、あらゆる不時の事故災難から逃れられているのを見ても、精神科学、物質科学を超越した最高の指導原理である証拠であり、しるしである。
物質科学が際限なく進んでも、半面の原理を確立把握しなかったならば、それはちょうど車の両輪が均衡を失ったようなもので、その轍(わだち)によって、ひき潰されることになる。物質文化だけでは、両方があいまつわけにいかないからである。
精神と物質の分かれる前の「真理」そのものから出発して、はじめて最高の指導原理が得られるのであるが、それが、真の日本神道によってはじめて確立されたのである。
<大塚寛一先生>
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