忙しさのあまり、簡単、便利、楽を選択していた若かりし頃の自分……
今思い返すと、たくさんの宝を拾い損ねていたと思うけど、そんな時期もあったからこそ、今は充実しているのだと思う。
以下抜粋しました↓
みなさんはコーヒーが飲みたくなったらどうしますか。 家にいるならコーヒーメーカーをセットする。外にいるなら数百円で淹れたてのコーヒーを買う。ごく当たり前の光景です。
でも、ここでちょっと想像してみてください。
まずは自然のなかに足を入れて薪を拾ってくる。 自分の手で火をおこして湯を沸かす。 「ああ、今 日はいい天気だな」と空を眺めながら豆を挽く。
そうして淹れたコーヒーの味は、おそらく、コーヒーメーカーでつくったものよりも数倍おいしい。 それはどうしてかといえば、一つひとつの行為に「命」が吹き込まれているからです。薪を拾う行為、 火をおこす行為、そして豆を挽くという行為。 どの行為にも無駄なものはひとつもありません。それが生きているということです。
時間と労力のなかにこそ命が宿っている。すなわち時間と労力を省くことは、人生の楽しみを省い ているのと同じこと。
ときには、便利さの”裏側”を体験してみてください。
整備工場を1人で経営している友人は、わざと電波の届かない山奥へ時々ソロキャンプに行きます。
静かな空間の中、豆を挽きコーヒーを1人静かに飲み、その時間こそが生きている実感を感じる事が出来る、そう言います。
私は欲張りだから、それを生活全般に組み入れた。
誰もが面倒くさいと言うものの中にこそ、喜び、楽しさ、感動が詰まっている事を知った。
人生の何に自分の時間を使うとしたら、面倒くさい事にこそ時間を使いたい。今はそう思うし、そう動いている。
自然は偉大で、全ての存在が尊い。
自然のモノで汚いものなど何もない。
何かを汚いと思う自分のココロこそが汚れているのだと知った。
便利さの裏側を一度知ると引き返せない。
そこからもう2度と戻りたくない自分が今はいる。
