モノの断捨離もいいけど
 
私はモノを簡単には捨てたくない。
 
断捨離するなら、買う前に本当にそのモノが必要なのかを考えてから購入する。
 
最後の最後までモノに対する責任を全うできるかは少し大袈裟だけど、簡単に捨てるなら最初から買わない。
 
 
モノにも意識があるのだと考える私は
捨てる時は必要な方に譲り大切に使って貰う方法を考える。
 
 
 
 
そして目に見えるモノを断捨離するならば
我が心の中を断捨離する。
 
 
見えないけど、気づかずに要らないモノをたくさん抱え込んできた。
 
 
世の中の常識やルールや刷り込み
~でなければならない、~であるべきなどの固定概念
誰が決めたかわからない『普通』
「死」に対する恐怖
真面目が良くて、働かないのは悪いこと
 
書き出すとキリがない程ある。
 
 
 
 
目に映るモノをいくら断捨離しても
 
心の中の断捨離が出来ずにいると
 
結局、同じことを繰り返す。
 
 
自分の目に映るモノ
自分が見ている世界
自分が見ているヒト
 
それらを眺め自分がどう感じるのか
 
必要か不要か
美しいか汚いか
良い事か悪い事か
好きなヒトか嫌いなヒトか
 
なぜ不要なのか、自分の中を見つめる
なぜ汚いと思うのか、自分の中を見つめる
なぜ悪い事と思うのか自分の中を見つめる
なぜ嫌いなのか自分の中を見つめる
 
 
そう思う原因や理由が、自分の中に必ず存在する。
 
 
それらを見つけ、断捨離する。
 
 
そして、それら(心の中の不要なモノ)を気づかせるために、現象としての不快感な事が目の前に表れる。
 
 
気づく→認めて受け入れる→不要なモノは捨てる
 
 
気づくまで繰り返し起きる不快感
気づいて捨てるとアラ!スッキリ☝️
 
現象も治まり、次に同じことが起きても
 
『ただの出来事』にしか感じなくなる。
 
出来事をただ見る自分が居て
反応しない自分がそこに居る。
 
 
誹謗や中傷をするヒトは
 
どんなにキレイな住まいにいても
 
心の中が荒れ狂っているのだ。
 
 
 
そして断捨離の仕方すらわからずにいる。
 
 
 
目に見えるモノたちを断捨離する前に
自分の心の中を断捨離する。
 
 
本当に必要なモノゴトだけを置きたい。
自分が居心地いい環境は、自分で決める。
 
 
 
 
キレイにすればするほど、自分を大切にするようになる。
見るのも辛かった、心の中のゴミを見つめ受け入れ整理整頓することで
 
いちいち外側の出来事に動じなくなるのだ。
 
 
あ、なんか言ってるな~
あ、なんかやってるな~
あ、よくわからん
ま、いっか
なるようになるか
 
 
 
強固な自分だけの居心地いい世界
 
 
 
いつもこんな状態でいたい
 
 
何もないから、何かしたいと思うようになる
 
 
 
 
~であるべき、それを使うとするならば
 
 
ヒトは自由であるべきだ。
 
 
心の中を断捨離すると
 
そこには自由しかない。
 
 
私は今、そんな世界に向かいつつある。