「愛する」ことには、

 

「許す」が伴う。

 

 

 

 

 

それは、

雑に扱われたり、

殴られたりしても許すという意味ではなくて

(許してはいけないこともある)

 

 

 

 

相手が何を好きでも

何を好きじゃなくても

どんな気持ちでいても

 

自分を好きでも

好きじゃなくても

許すということだと思う。

 

 

 

 

 

そもそも、

コントロールできることではないし、

コントロールして無理やり変えてほしいことでもない。

(かといって諦めて何も働きかけない、ということではない)

 

 

 

 

 

 

よく「愛してる、だから行かないで」みたいなセリフをドラマとかで見るけど

#DVしている母親が子供に言う時など

 

それは

「離れたい」「一緒にいたくない」という相手の気持ちを許していないから

愛じゃないと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう伝えられたらよかったと思うこともあるけど

 

 

今後自分の言葉を聞いてくれる人に

これを精一杯伝えていくしかない。

 

 

 

 

 

 

恋とは素晴らしいもので

やっぱり成長できるし

一番好きな人のところに正面から行かないと

意味がないんだと思う。

 

 

 

 

 

 

それは

自分のため。

 

 

 

 

 

 

その人が好き

愛したいという

自分の気持ちの味方をするため。

 

 

 

 

 

言葉やイメージワークではなく

行動でそれを示したということは

自分の味方をしたということは

必ず、

今後の自分の人生を

後押ししてくれるから。

 

 

 

 

私のこのエゴで、

幸せを感じてくれる人に会いたい。

 

 

 

 

 

 

あなたを好きだ、一緒にいたい、触れたい、大切にしたいという

エゴこそが他人を幸せにする。

 

 

 

 

 

 

 

愛してほしい。

 

そのためには

愛してほしい自分の全てを相手に見せないとダメだし、

 

 

 

 

テクニックなどに頼っては

すべてを愛されることはない。

 

 

 

 

全てを愛されたいなら、

運命の人に出会いたいなら、

自分の全てを見せることしか

私たちにできることはない。

 

 

 

 

すべてを見せる覚悟が

相手を信じることが

私にはまだ足りなかった。

と、気づいた。

 

 

 

 

 

気づいたところから。

ここから。