長井鞠子さんの『伝える極意』を読んでまいります。
「はじめに」のはじめに次の説明があります。
わたしたち通訳者の仕事は、異なる言語を話す人たちの間に立ち、会話・コミュニケーションが成り立つよう手伝いをすることです。
我们口译员的工作,就是站在使用不同语言的人之间,帮助他们的对话、沟通得以成立。
Wǒmen kǒuyìyuán de gōngzuò , jiùshì zhànzài shǐyòng bùtóng yǔyán de rén zhījiān , bāngzhù tāmen de duìhuà 、 gōutōng déyǐ chénglì .
◎ 得以 déyǐ
[so that…can(may)] 指借某事物而能做某事;能够,可以
さらっと「会話・コミュニケーションが成り立つよう手伝いをする」と書いていますが、日本語が母語同士の間で、会話やコミュニケーションってちゃんとできているでしょうか?
特に日本語は「みなまで言うな」、または「空気を読む」ことを大切にしています。
また、相手の顔色をうかがいながら、余計なことを言わないように、相手を傷つけないように細心の注意を払って会話・コミュニケーションしているのではないでしょうか?
通訳を介さない会話やコミュニケーションなら、それがうまくできないとそれは自分の問題。
でも、それが通訳を使うとなると会話やコミュニケーションがうまくいかない責任は通訳者にあると思われる。
もちろん通訳を使うことに慣れている人はこんな事はないでしょう。
でも、プロとして通訳をしていると、色んな場面があります。
通訳を始めて使うという人と外国人の間に立ち、会話・コミュニケーションを成り立つようにお手伝いすることもあります。
そんな時に思うのは、
事前の打ち合わせをしっかりやっていただき、どういう結果を求めているのかを教えてくれ、その会話やコミュニケーションの舵取りを任せてくれたらどれだけ双方に役に立つだろう
ということ。
たとえば、外国人が道を聞いてきた。
そこえ日本語が母語の人が道を教える。
その時に通訳者が入るとする。
外国人は駅にはどういくか?と聞いてきた。
日本語が母語の人は、
この道をまっすぐに行き、右側に郵便ポストがあるからそれを右に曲がり、そのまままっすぐ行くと駅ですよ。
これを見て、日本語が母語の方なら、何ということのない文章だと思われるでしょう。
でも、ここには落とし穴があります。
それは、ポストはかならずしも赤色ではないということです。
よくある通訳の使い方で、「言うことをそのまま外国語にして」ということで、上の説明をそのまま中国語にしても、相手が中国人だったら日本の「ポスト」に気づくことは難しいかも知れません。
こんな時、通訳を使う前に、
「今、中国人と思われる外国人が駅への道を聞いている。それを教えてあげるのですが、その通訳をして下さい」
と説明があれば、通訳者は通訳をすることの「目的」がわかり、効率的にそして、誤解を避けて通訳をすることができます。
この例なら「ポスト」というところで、「日本の郵便ポストは赤ですよ。中国では緑でしょう?いえ違う?とにかく、この人の言っている郵便ポストというのは赤色なので、それを目印にしてくださいね」と付け足して説明することで、「目的」を達成することができます。
これはまだ簡単な例ですが、実際の通訳の場面では、もっと複雑で、文化や中国人の考え方などにも精通していなければ誤解を招いたりする可能性があります。
もっともこれは通訳として訓練を受け、あるいは経験を積んだ通訳だからこそできることで、単に言葉ができるからということで、通訳に使う場合には、使う側がよほど気を使わないと誤訳は避けられないでしょう。
そういう意味で、今回の本の日本語名は『伝える極意』なのかも知れません。
日本語が母語の方にとっては「極意」であっても、中国語や英語のように「思いや情報をしっかり伝える言語」なら、当たり前のことなのかも知れません。
さて、どうなのか。
これから見てまいりましょう。
