もう14年になるのですね。
色んな方が色んな思いを持っておられるだろう「阪神・淡路大震災」。
私、あの時には中国の南京市にいました。
あの日は日本から駐在員が訪中してくるはずでした。
南京まで一人で来るのは大変だから上海まで迎えに行ったと思います。
そしてそのために情報収集していて知ったのが「阪神・淡路大震災」。
結局駐在員は何とか訪中してきました。
四国の川之江市(今は中央市)から関西空港まで出てくるのが大変だったと言っていましたが高松空港から飛行機で伊丹空港だったか関西空港に移動したと思います。
そんな思い出があるあの日ですが、私にはもう一つ思い出があります。
当時、私はすでに離婚していました。
前の奥さんは中国人。
ちょっとしたことが原因で、あれよあれよという間に家庭裁判所での調停をへて離婚したのですが、子供が二人いました。
毎月の面会権は何とか獲得したのですが、子供たちと会うと、別れるときに私も辛いし、子どもたちも辛いだろう。また、別れた妻は私と子供たちが会うと、子供たちが私と一緒に暮らしたいと思うのではないかと心配だろうと思い、一度も会っていませんでした。
震災があり、日本は大混乱。
久しぶりに私の親友から連絡があり、私の前の奥さんのことを気遣います。
「確か、神戸に住んでたんとちゃうん?」
私は先方の連絡先は教えてもらっていないのです。
でも、もし神戸にいたとしたら安否を確認しなければと、弁護士に連絡をとりました。
「普通は教えないのですがこういう場合ですから…」
ともったいつけられてやっと聞いた連絡先は確かに神戸でした。
それを親友に伝え、直接連絡をとってもらい、幸い神戸でも山手だったので直接の被害はなかったこと。
でも、子供たちはまだ小さく(当時8歳の男の子と6歳の女の子)、朝は激しい揺れで眼を覚まし、遠くの火事がいつまでも消えないので不安にしていたという様子を聞くとそばにいる事ができなかった。すぐ駆けつけることのできない。こういう状況にしてしまった。そんな私自身を厳しく責めていました。
「子供を捨ててしまうような自分。こんな自分は幸せになる資格はない」
そう思っていました。
そして、それでも何とか連絡したいと思い、入手した連絡先にファックスで連絡した。
それだけです。
人は失ってはじめてそのものの大切さを思い知るといいます。
そして悲しみが多いほど人に優しくなれるともいいます。
色んな経験で人は磨かれると思うのですが、心は痛みますね。
二度とこんなことはしない。
そう思うのが精一杯です。
そしてこれが学んだことでした。
阪神・淡路大震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。