今日の観察-day895



観察→創造が連携しない。




今日は休日、

30年ぶりくらいに会う

学生時代の友人達とランチへ行った。



話題の大半は、

離婚と子供のこと。



私も辿った経験と同じように

精神的に追い詰められていくような

対立の果の、

離婚や経済的自立へ向けた学びが

それぞれにあった。



「聞かれるまで話さない」と

決めていたので、

ふんふんと聞きながら

自分を観る私がいた。



“もっと法則を学べばラクになるのに”

と思う自分からは、

「尊大さや傲慢さ」が見えるね。



“うーん、その話題は興味がない”

と思う自分からは

「無関心」が見て取れるわ。



これを端的に言えば、

「自分を優位に置いている」ことになる。



女子同士の話はとかく

テーマがコロコロと変わり

取り留めがなく、

スキをついては意見を挟んでくる。



みんな、

「自分の話」に夢中だ。



ともに過ごした時間もあったのに、

こんなにも重なり合うことがないと

感じる距離感になった。



そんなことを脳内で展開していたが、

どんな難問より難しいと感じたのは、

「リスタート」だ。



自分を下に置いた時、

どんなリスタートをすればいいのか

決まらない。



なぜなら「未経験だから」だろうが、

最終的に気づいたのは

0⇔100で決めようとしている

ということだ。



マトリョーシカのように

どこまでいっても

二元性が立ち表れることに、

苦しさを感じた。



もう一つ、気づきを残しておく。



無・空・虚。



もともとこの状態だから

肉体という器を「満たす」ことでしか

センサーが反応しない造りになっている。



できる唯一の方法としては、

「溜めない」ことだけなんだろう。



流す、素通りする、すり抜けるだけ。



二元性にある肉体の仕組みを利用して

無のコツを掴む。



ここにチャレンジしてみたい。



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お読み頂きました皆様、

本当に本当に

ありがとうございます。