今日の観察-day852

昨日の「観察から解を得る」体験から、
急に老子の説く
「自然界と共存する」在り方とは
宇宙摂理とともに生きることなのだと
深く深く理解した。
目の前の事象が訴えることは
すなわち
宇宙摂理からのヒントである。
よく霊能者の方が
「神々のメッセージは
ヒントのようなもので、
紐解けるまで子細は分からない」と言うが、
昨日の体験も、そっくり同じだと思った。
昨日得た解は
「上善水の如し」であろうし、
例えば
「名の名とすべきは、常の名に非ず」に
至っては、
現代語訳で登場するような解釈が
いかに的はずれであるか分かる。
無為自然に生きるとは
自我のない状態を指すのであり、
そこで初めて共存や調和が成り立つ。
「柔よく剛を制す」の解釈に
代表されるように、
ブッダの説法や老子の言葉が
伝えたかったであろう真意とは
あまりにもかけ離れた形で
残されていることに、
暗澹たる思いになる。
自我のまま柔のフリをすることなかれ。
この境地に至り初めて、探偵小説然り、
中世西洋絵画に象徴されるイコノロジーや
手相に興を持ったことは全て、
「目の前の事象を読み解く」ことの
前哨戦であったかと思い至るのである。
世に「偶然」など、ない。
もっともっと、賢く在りたいと思った。
「観察」に開眼する私がいた。
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