今日の観察-day742

処理・再構築するのではなく、
反応そのものを見る。
全体を見渡すって、こういうカンジか?
と思った。
日々訪れる
夕食後のお茶に関連した事象から、
「全体性」と「反応を引き起こす基」を
見ることができた。
お茶を飲んだ後の食器を洗うシーン。
強度こそ薄れたものの、
「やらされている」と感じている私がいた。
この瞬間の気づきを明らかにしてみる。
あぁ、この反応が出るのは
「被害者」という構造(枠・骨組み)に
収まっているから起こるんだ。
被害者意識を何とかするのではなく、
そもそも、その観点がおかしい。
この全体の場で最適な行動は
「黙ってやる」だな。
単に「やる順番が回ってきた」だけか。
そう、「食器を洗う」というシーンは
ウチだけで起こることじゃない。
宇宙で繰り広げられる一つのシーンであって、
誰かがやることになっているだけだ。
ここまで来た時には
「反応」はキレイに消失していた。
不快も喜びもないカンジ。
もっと構造的に落とすと、こんなカンジ。
「被害者」というフレームに意識体を収納し、
そこに「私」を固定している。
「被害者」フレームのフタを開けて解放すると
「私」は霧のように消散していく。
今日の事象からは、
「反応を見る→構造に気づく」流れから
「反応を引き起こしている骨組み」を
瞬時に捉えられた。
ここを、強化していく。
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お読み頂きました皆様、
本当に本当に
ありがとうございます。