陰陽・光と闇・二元性の世界について | 沈黙こそロゴスなり

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The Message from the stars that illuminate your life.

畑仕事してたら降りてきたので急いで書きとめ。

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善悪はあるという意見と、善悪はないという意見どちらが本当なのかというお前の疑問に答えよう。
まず、我々はこの二元的な宇宙を見る時に、波動そして次元という概念で見ている。
次元とはあくまでも数学的な表現であり、実際すべての宇宙はエネルギーの周波数のグラデーションでしかない。



私たちが、個体(物質)として認識している部分は、あなたがたの表現を借りれば「波動(または次元)が低い部分」ということができる。しかし、素粒子の学びをすればわかるように、個体と認識しているものでさえ、その99.99%以上が空間であり、見たり触れたりできるものは、誠に儚い影でしかないことがわかる。あなたがたはその影を持って、物質は在る、それに触れることができると思い込んでいるに過ぎない。
つまりは、それはこの世界において定められた決まり事なのである。

たとえばここに一つのクリスタルがあるとしよう。



このような結晶構造体は、ある特定の波動、周波数に共鳴するため、このような形になるのだが、これはこの水晶がこれを形作るエネルギーの形を表していることを意味している。
ましてや、さまざまな元素から成り立っている有機体が、複雑な形状をもつのは当然である。

では、波動というものが何かを見ていこう。
これが一般に波動を表している図である。



ごらんの通り、波であるのだが、これはあくまでも波動の進行方向を横からみた平面図にすぎない。この図を立体的に展開していくと次のようになる。



そう、波形とは、エネルギーの回転運動を真横から見ているに過ぎない。
波形を真横ではなく、真正面からみると、完全な円を描いているのがわかるだろうか。



このように見た時、あなた方が、+(プラス)だ、-(マイナス)だと言っているものは、円の外周に沿って円運動を描きながら動いているエネルギーの流れの、ほんの一点を捉えて言っているにすぎないのである。
そして、ある一点を「光、善、陽...」などと言い、その対極の点を「闇、悪、陰...」などと言っているに過ぎないのである。

ここで、善悪は無いとする意見のものは、もしかしたら「それ見たことか、善悪はないのだ」と思うかもしれない。
しかし、これは先に述べたように、この世界における決まり事である。
エネルギー的には確かに、善悪、光と闇は相対的なものであるが、神はこの世界を創造するにあたって陰陽の概念を定められたのである。

それこそが、「我と汝」というこの世界の根源的原則だ。
これを表しているのが次の波動の図である。



この世界は、基本的にこのように2つの波動の重なり合わせによってできている。

神はこの世界を創造するにあたり、それまで「絶対的孤独」であった「我」から、自分と相対する者「汝」を創造された。神がアダムの脇腹から骨を一つ抜いて、それによってイブを創造したという物語はこの真実を隠喩的に表している。
そう、もし神がいまだに「我」だけの存在であれば、エネルギーの波動は最初の図で示したように、1本の波であり、善も悪も光も闇もない。
しかしどうだろう、あなた方は天を仰ぐ時、どこまでも続く広大な漆黒の空間に宝石のように輝く美しい星々を見るではないか。

光と闇は、神によって創造されたのである。
それは、神がこの世界をお創りになった時の最初の大原則「我と汝」という動機に由来する。

神は「我と汝」という2つの螺旋の波動を創造された。
次の図は、世界がどのように構成されているのかを表している。



波形の頂点を極として、それぞれの極を線で結んでみよう。
実は、世界は、この極同士を結び合わせた線の中に存在する。
これをもう少しわかりやすい形にすると次のようになる。



線をすべて極に置き換え、それらを線でつなげてみたらどうだろう。
もうお分かりだろう、宇宙の原理はあなたがたの遺伝子の形状として刻まれているのだ。
波動と共鳴するものは、その形状を再現する。
宇宙の原則と共鳴するエネルギー、それがDNAなのだ。
あなたがたがなぜ「神の子」と呼ばれるのか、その理由を理解しなさい。

この形を別の角度から見てみよう。



真正面に近い角度からみればこんな感じだ。



完全に真正面からみるとこんな感じになる。図はわかりやすいように、極同士を繋ぐ線の一部を消しているが、もしすべての線が描かれたとしたら、世界は完全に満たされているのが理解できるだろう。

このDNA形状、二重螺旋のエネルギーの原則は、この宇宙すべてに適用されている。



それらは複雑に重なりあい、更なる複雑な形状を描き出す。しかし流れる原則は同じである。



あなたがたが目にする銀河の姿は、この螺旋構造を横方向にも拡大した結果だ。
そして、この宇宙の縮図こそ、あなた自身だということを覚えなさい。

では、話をもとに戻そう。
神は「我と汝」という宇宙を創造したがゆえに、この世界は完全なる二元性によって成り立っている。光の対局には闇があり、善に対しては悪がある。
しかしこれらは一元的な神の愛の内にあるため、次元が上がりまた周波数があがるに連れて、グラデーションのように愛に近くなっていく。
それを図に表すと次のようになる。



それらは次元が上がるに連れ限りなく愛に近づくが、決してひとつにはならない。
なぜならここは「我と汝」の世界だからだ。

では、光も闇も存在しない、別の宇宙があるのかといえば、答えは「はい」である。
全く別の宇宙は存在する。それは我々に与えられた概念では理解のできない世界である。そこはこの世界とは全く相容れない別の次元であり、それは、我々から見れば絶対的孤独の神の向こうにあり、そこへ行くには、絶対的孤独である神、つまり、無であり無限なるゼロであるお方を通るしかなく、それは「我」または「汝」であることをやめることを意味する。自らをゼロに戻すことでしか行くことはできないのだ。

光と闇は常にバランスを保つ。なぜならそれぞれは常に対極にあり、そのことによって世界が構成されているからだ。
光の在るところには闇が在り、闇の在るところには光が輝く。
悪は善に打ち勝つことはできないが、逆もまたしかり。
次元が上昇してもこの概念は変わらない。
天使もまた悪魔にもなり得るのだ。

しかし、ここで間違えてはいけないことがある。
それは「恐れ」の意識である。
実は「恐れ」こそが、光を善たらしめ、闇を悪たらしめているのだ。
そもそも光も闇も愛から出たものに違いない。それは単に「我と汝」という、2つで一体であるものの姿でしかない。
あなたのエゴが恐れをもってそれらを見る時、自分を良くしてくれるものを善、害するものを悪と呼んでいるのである。
確かに世界は陰陽であるが、それをどう感じるかはあなた自身の中にある「恐れ」にかかっている。恐れのないものには、悪は悪に見えぬ。恐れを超越するものにとっては、それらは単に学びの機会であり、神なる愛の現れであることを知っている。

この宇宙、世界にあるものすべては、それぞれがみな神の形であり、完璧であり、なにも欠けてはいない。そしてそれぞれが完璧な位置に存在している。

ゆえに神は、あなたの隣人を愛しなさいと言うのである。
敵をつくるのは自分の中にある「恐れ」である。
恐れゆえに、関係を切ったり、断絶したり、対立することは簡単だ。しかしそこで得られるのは、一時の平安に過ぎない。自分の中の恐れと向き合わない限り、繰り返し敵は現れる。それは、自分の内にある恐れを見なさいという、天からのギフトだからだ。
もちろん、それさえもキャンセル可能だがね(お望みとあらば...)。