予言の目的 | 沈黙こそロゴスなり

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予言とは何でしょうか?

昨今、新しいところでは、2012年12月22日(あるいは23日)に現在の太陽のサイクルが終了するというのがあります。

これは単に年末年始と同じ意味なのですが、それに関連して世界が終わるとか、大災害が発生するとか、アセンションがあるとかいろんな憶測が飛び交っています。
中には高い次元の存在からのメッセージだとして言われているものもあり、正直なにが真実なのかわからないというのが本当です。

というわけで予言についていくつかのポイントにまとめてみました。


まず2012年終末説についてですが、太陽のサイクルの終わりという意味で、この日は確かに来ますが、私たちが頼りにしているカレンダー、つまりグレゴリオ暦の2012年に来るかどうかはわからないという点です。
というのもこの予言はマヤ暦をもとにしているのですが、マヤ暦の正確なカウントは、16世紀のスペイン人の侵略によって破壊されて以降失われてしまっているからです。
西暦2012年がそれだという算出はあくまで仮定にもとづいているので、その日かも知れないし、もっと先かも知れないし、もう来てしまったかも知れません。


次に予言のもつ性質です。
現在もっとも有名な預言者ジュセリーノ自身も述べていることですが、予言には二つの目的があります。
予言を扱う人はこのことに留意する必要があります。それは、

1)予言とは未来に起こることを明らかにする目的がある。
2)予言とは未来を変える目的のためになされる。

ということです。

将棋を例えにあげてみれば、何手も先の状況を読みながら対局がされるわけですが、こうすればこうなるということがある程度明らかになっているわけです。
将棋の達人ともなれば、何十手、あるいは何百手先まで読むことができるでしょう。それは将棋盤の上の話です。
それと同様に、この地球全体を高い位置から見ている存在からは、何がどう動けばどうなるのかという未来が見えていてもおかしくありません。
しかし未来は常に不確実性の中にあります。予想される未来の出来事は、すべて起こる可能性を持っていると同時に、起こらない可能性ももっているのです。
このように、予言の第一の目的は、未来に起こることを明らかにすることにあります。このまま行けば、こうなるよという警告でもあるのです。

となれば、予言がなされるもう一つの目的ははっきりしています。それは未来を変えるということです。
もう一度将棋の例えで言えば、これは相手に自分の手の内を明かし、「このまま行けばあなたは負けますよ」と言うことと同じです。
打つ手が残っていれば、負けずに済む事ができるかも知れないというわけです。

このまま行けば、世界は滅びますよという予言の真意は、あなた方にはまだ打つ手があり、未来を変えられるということなのです。


聖書の中に一人の有名な預言者が登場します。
彼の名前はヨナといいました。
ヨナはある日、神様から一つのビジョンを与えられます。
それはニネベという都市国家の滅亡の予言でした。
神様はヨナに、ニネベへ行って人々に警告するようにと命令します。
その任務が嫌だったヨナは、ニネベではなく、タルシシ行の船に乗ってあらしに遭い、海に放り出されて大きな魚に助けられるという話が有名ですが、この話の重要な部分はその後にあります。
観念したヨナは今度はちゃんとニネベに向かい、その街の滅亡を警告して回ります。
するとどうでしょう。意外にも街の人々は素直で、警告に従い自分たちの悪い行いを改めるのです。
その結果、街は滅亡する事なく人々は救われました。
しかしヨナは面白くありません。自分が予言した日になっても街が滅亡しないのを見て憤慨し、神様への抗議の意味で街の郊外で座り込みをはじめたのです。
そんなヨナを見て神様はやさしく諭します。
座り込みをはじめたヨナの為に神様は一つの唐胡麻をはやしました。
唐胡麻は大きな葉っぱを茂らせたので、ヨナは日照りから守られ、とても喜びました。
ところが今度は神様は虫を遣わして唐胡麻の葉っぱを残らず食べさせてしまったのです。おかげでヨナは再び暑い日光にさらされる事になりました。
ヨナは唐胡麻が枯れてしまったのを見て、「生きるより死ぬほうがましだ!」と激しく神に怒ります。
すると神様はヨナにこう言いました。
「唐胡麻のためにあなたが怒るのはよくありません。あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜のうちに滅びたこの唐胡麻でさえ惜しんでいます。まして私は12万あまりの右左をわきまえない人々と、たくさんの家畜がいるこの大きな街ニネベを惜しまないでいられるわけがありません。(ヨナ4:10)」
神様は人々を愛していて、滅ぼしたいと思っているわけではなく、むしろその逆なのだということなのです。


2000年問題というのを覚えていますでしょうか。Y2Kと省略されてよく言われていた問題です。旧式のコンピューターは年の計算を2桁で行っていたために、99は1999年と認識するのですが、00は2000年ではなく、1900と計算してしまうという問題です。このようなコンピューターは西暦2000年1月1日午前0時になると、日付が1900年1月1日になってしまいます。コンピューターによって管理しているシステムにおいて、特に日付が絡んでいるものは、2000年1月1日午前0時にシステムエラーを起こす可能性があることがわかったのです。そしてそれらのコンピューターは、電気、ガス、水道、銀行など、さまざまな管理システムのなかに存在する事が明らかになってきました。もしそのままほおっておけば、2000年1月1日午前0時にあらゆるシステムが停止し、大変な事になるかも知れないのです。

私の友人のお兄さんは、当時アメリカにある世界最大の貿易会社のシステムエンジニアをしていました。もし彼の会社で同じようなシステムエラーが発生したらどうなるでしょうか。物流や商品管理はすべてコンピューターによって管理されています。もしそれがエラーを起こして停止してしまったら、それによって生じる損害額は莫大なものになってしまいます。
そこで彼らはこの問題が明らかになった直後から、対策チームを編成し数年かけて、会社全ての旧式コンピューターを新しいものに更新するという作業を行ったのです。彼らの合い言葉は「Y2K is Real(2000年問題は現実だ)」でした。
2000年問題は社会的に取り上げられ、世界中のほとんどの企業や組織がそれに取り組みました。その結果、2000年問題は起きなかったのです。
2000年1月1日午前0時、心配したシステムエラーはほとんどおきませんでした。重要なシステムとは全く関係のない、一部のパソコンの日付が狂っただけで、終わったのです。
世界はこの危機から救われたのです。

Y2Kの警告がなされなかったらどうなっていたのでしょうか。
コンピューターは更新されないままになり、2000年1月1日午前0時に大惨事がおきていたかもしれません。
しかし警告がなされたおかげで、世界中の人々がそれに取り組み、惨事を避ける事ができました。

Y2Kは起こりうる現実でした。
しかし警告がなされたことにより対策が行われ、Y2Kは起こりませんでした。


予言とは起こりえる未来を変えるためにもあるのです。
ですから、その結果、予言された事が起きなかったとしたら、それはそれで予言の目的が達成されたということになります。

今、2012年という象徴的なキーワードの元にたくさんの予言がなされています。
その中にはいいものもあれば、悪いものもあります。嘘くさいものもあれば、真実みを帯びたものもあります。
何にせよ、悪い予言、警告に対して私たちは取り組む必要があるでしょう。
なぜならそれは確実に起こりえるものであり、同時に回避する余地が残されているからです。

地球温暖化、環境問題、私たちにはできる事が沢山あるはずです。

そしてその結果未来が変わり、悪い予言が外れたら、万々歳です。
それを警告してくれた預言者に感謝いたしましょう。
彼が予言してくれたからこそ、その予言が実現しないようにできたのですから。