日記を読んで本当に感銘を受けました。
残念ながら、ご本人様のサイトは閉鎖されてしまいました。
内容が意図されない方向に使われてしまったからということです。
とても悲しいです。
理由はどうあれ、誰かの為に命をかけて働くってできないですよ。
もしこの人たちを裁ける人がいるとしたら、それは同じく誰かの為に命をかけたことのある人たちだけだと思います。
現場にいる人たちを強く応援します。
私自身は、原発に賛成いたしません。
理由は、好きではないからです。
環境云々言うのは、単に理由付けでしかないと感じています。
というのも、この原発は少なくとも今まで40年間、私たちの生活、特に電気に依存してきた部分のおよそ3割を支えてきたからです。
文字通り、生まれてこのかた、私の生活の3割近くをです。
原発は、いわばハイリスク・ハイリターンのエネルギーです。
火力発電では、対価として大量の二酸化炭素が排出されます。
水力では、ダムが1つできる度に、村が一つ水没します。
太陽電池では、パネルの製造に、それ自体の発電量よりも多くのエネルギーが必要です。
地熱は施設の維持にコストがかかります。
風力は気象まかせで発電量が安定しません。
どれも一長一短です。
リスクが少なければ、便利さも低下します。
便利さを求めれば、莫大なエネルギーを必要とします。
そのエネルギーはどうやって手にいれるのでしょうか?
便利さと豊かさとを間違えてしまった結果...。
どんなに便利になっても、幸せではないと感じている人が多いのはなぜでしょう?
便利さの陰にどれだけの犠牲があるのか、留意してこなかったからではないでしょうか。
私は、便利さとは、一種の社会的暴力ではないかと感じています。
欲しいものを手に入れようとする時、暴力を振るえば比較的簡単です。
いわば暴力は便利な手段です。
でも暴力は、振るわれた相手を傷つけます。
自分も反撃を受けるリスクを負います。
暴力によって信頼を失います。
暴力によって犠牲を払うのは、結局自分だったりします。
戦争も同じですね。
忍耐は、不便です。
時間がかかります。
理解が必要です。
地道な努力を伴います。
でも信頼を得ることができます。
そんなエネルギーを得るにはどうしたらよいのでしょうか。
発電にとどまらず、私たちの生活全般に求められていることなのかも知れません。