台湾映画『牯嶺街少年殺人事件』の言語世界 | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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台湾映画『牯嶺街少年殺人事件』(1991年台湾/監督:楊德昌(エドワード・ヤン/2017年デジタルリマスター版が公開/1961年台湾で実際に起きた少年による殺人事件をモチーフに、当時の台湾社会をリアルに描いた)では「眷村黑話」と呼ばれるスラングがたくさん使われている。たかがスラング、なのだがされどスラング。この映画におけるスラングーー「眷村黑話」は大きな意味を持っている。

 

「眷村黑話」というのは50年代以降台湾の「眷村」を中心に流行したスラング。その多くは中国東北地方の言語、「土匪」と言われる反社会的武装集団の隠語が起源である。60年代、台湾の眷村に暮らす外省人第2世代の少年達には深く浸透していたと思われる。その中のいくつかは今も広く使われているが、それは外省人(眷村出身)の芸能人、王偉忠、盛竹如、張雨生などがテレビで使ったからだと言われている。

 

この映画は外省人第2世代の少年少女たち、特に、太保幇と言われる不良少年たちにスポットを当てた映画である。60年代の台湾は、白色テロや二二八事件で深刻化した「省籍矛盾」等、恐怖と不安の充満する社会だった。親世代の焦燥感や精神的不安定を敏感に感じ取っていた少年たちは自分の居場所を求めるために「幫派」――太保幫(不良グループ)に所属し徒党を組んだ。

 

彼らはいわゆる「やくざ」ではない。毎日学校にも通い、教官に管理されてもいる。だから正式な構成員ではない学生とも接触が多く、影響力が大きかった。この映画の監督、楊德昌も構成員ではなかったが確実に「太保幫の周辺にいた」はずだと言われている。

 

主人公の小四(シャオスー)を演じた俳優、張震はインタビューで次のように語っている。

 

監督はシナリオを非常に重要視しており、一字たりとも勝手に変えることは許されなかった。(中略)彼にとって一字一字全てに意味があった。

 

それは楊德昌監督が、60年代の台湾を細部に至るまで丁寧に描くことで「皆が故意に忘れようとしている空白の歴史」に向き合いたかったからではないだろうか。

 

映画で多用される「眷村黒話」も歴史の一部だった。映画の中で少年たちは互いの絆を確かめ合うかのように「髒話(汚いことば)」を連発し「眷村黑話」を交わし合う。本省人には自分の言葉は「台湾語」があったが外省人第二世代にはなかった。仲間内だけに通じるその隠語こそが、外省人の少年達のアイデンティティを支える「言語」だったのかもしれない。 


台湾の歴史の、また違った側面を見せてくれるのが映画『牯嶺街少年殺人事件』なのである。