《中正紀念堂》と《自由広場》のなまえの歴史 | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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※過去記事に加筆しています

《中正紀念堂》は有名な観光スポットなので、訪れたことのある方も多いはず。その前にある広場が《自由広場》。この二つの名前を巡っては2000年以降紆余曲折色々ありましたが、その歴史をたまり、リアルタイムでヲッチングしてまいりました。

元々は《中正紀念堂》と《大中至正》という名前だったのですが、民進党陳水扁政権(2000〜2008初)末期に起こった「正名運動」で中正記念堂は《台湾民主紀念館》に改名され、《大中至正》も《自由広場》になりました

この「正名運動」というのは、2008年5月の国民党への政権交代直前(2007年から2008年頭までくらいの間)に、陳水扁政権が怒涛の勢いでとった「台湾化」政策の一つ。特に陳水扁さんは施設や組織の「名前」にこだわり、数々の「中華」や蒋介石関連の名前を「台湾」に変えて行きました。


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↑これは2004年に撮った写真。小さいけど「大中至正」と書いてありますよ。



↑は2007年の8月にとった写真。この時点ではまだ「大中至正」なわけだから、ほんとに政権交代のぎりぎりのとこで「自由広場」に変えたということがわかります。 



でも2008年に国民党が政権をとったあとは、民進党が白に変えたオセロの駒をこれまた怒涛の勢いでダダーーっと黒に。「台湾民主記念館」もあっという間に元々の《中正紀念堂》に戻ったのでした。


でも《自由広場》の文字はそのまま。2016年に再び民進党政権になったあとも《中正紀念堂》と《自由広場》のままで、今に至ります。





↑は2016年4月撮影


↑は2023年9月撮影



↑ここを左に行けば国家図書館、右に行けば中正紀念堂