鬱と診断されたうちの父。
元々が支配的で抑うつ傾向の強い人だったので、あんまり違和感ないです。
基本は真面目で臆病な人なんだと思います。
私の本音、「父とちゃんと関わりたかった」という欲求を満たすべく、せっせと実家に帰っては、いろいろ試してます。
話し方とか、気持ちを伝えることとか。
本音に気付いたら、父に「もう!ええ加減にして」とか怒鳴ることもなくなりました。
てゆっか、ええ加減にしろって言いたくなる現象そのものが減ってる。
父はいつも食事時間の1時間から1時間半前に、お腹が空いたと訴えに来ます。
お腹が空いたっていうより、時間通りにご飯が食べられなかったらどうしよう、なんていう不安とか、諸々ですね。
寝てばかりで動くのを嫌がるから、1日のメインイベントと言えば食事くらいしかないのです。
かと言って食事を用意したらしたで、残す。
残して翌朝に回す。
晩ご飯として、ちゃんと1人分を作った方とすればイラっとします。
催促するのに受け取らない感じ。
なのに。
翌朝の父の朝食用の小鉢を用意して、他に私と母の分を分けて置いてあったら、それも食べるんです。
「余ってたから」って。
もしそれが余りだったとしても「余ってた」ものを分け合わない。
その感覚がない。
※コレ、定年退職前から20年以上、ずっとです。
あげたら拒否る。
人のものは奪う。
てゆーか、ここにあるものは全て自分のもので、取られたくないから全部キープする。
書いててもイラっとします(笑)
お父さんは、自分の分はあるのに、それ以上に欲しがる!
人のもんまでとってしまう!
ホンマに欲どうしい!
(大阪弁で、欲が深いと言う意味)
って母もよく怒ってます。
けどねぇ。
気付いちゃった。
あの父の姿を否定することは、自分を否定することだ。
欲しがることは悪くない。
父に対して腹が立つのは、今ここにあるもの=こちらの差し出したものをなかったことのようにして、あれが欲しいこれが欲しいと言うところだった。
だって、「おかわり!」て言われるのは嬉しいもの。(父は絶対言わないけどね)
だけど私はどこかで勘違い。
私、「もっと欲しい」と言うことに罪悪感があったよ!
そして恥ずかしいと思ってたよ!
これか?!
私のブロック。
だから貪欲に求めるってことができなかったのか?!
足るを知る、てことに、こだわってた。
この辺りで満足しなきゃと思ってた。
いや、たとえ満足してても、欲しかったら欲しいって言って良かったんだ!
あー。
そうだ。
父は私の鏡だった。
欲しい欲しいと思いながら我慢して、もらっておきながら罪悪感で帳消しにしていた私の姿を映してたんだ。
それでそれで。
私は父に愛されていないと思って来て、未だにそれを引きずってるけど、この私の気付きは、父が生きていてくれてこそ。
コミュニケーション下手な父が、私に絡んでくるのだって、あれは、後者が橋を架けてきた瞬間じゃなかったか。
ああ。
生きてそこに居てくれる愛というのも、あるんだ。
鬱になって、弱っていても、憎たらしくても、腹が立っても、ロクデナシでも、父は私を愛しているらしい。
愛されていたと気付いたんです。
なんか…
ありがとう、しか、言えなくなっちゃった(笑)