前の記事の続き。



後者の「思考グルグル」は、一種の「頭真っ白」に近い現象ですが、前者の思考はグルグルしていても、常に一定方向に流れてます。
グルグルしながらでも、どこかの時点で何かしらの結論付けをします。問題解決が習性になってる前者らしいと言えば言える。
ただ、こういうグルグルの時に出された結論って、たいてい足りない情報を推測によって補った上で導き出されているんです。

例えば↓
{7F76E886-AA38-476F-87D3-6A678C775DDA}
何か不都合があった時に、過去を遡り、問題が発生した時点を推測します。
特定できたら、そこを起点にして理論展開。

…つまり、事実に基づいていないのです。
推測、推定がいつしか前提に変わり、そこをベースに次の思考を組み立てるので、妄想が事実のように膨らんでいく…という恐ろしい現象が起こる。
往々にして、悲観的な妄想で自滅…。前者あるある。



*******************

そういえばニセ前者よりに比べると表に出てる率が少ないけど、「ニセ後者」も地味に生息してますね。
で、そのニセ後者は、ひかえめに「わかんなーい♡」「できなーい♡」テヘペロ♡って言ってる気がする。
出来るアピールより「出来ないフリ」が多い。そっちが可愛いがられると思ってる。(その時点で前者。)


前者って、「自信満々に自分を主張」出来ない人種なんじゃないかと思います。
もちろん、後者にだって自信なくて主張出来ない人はいますが、にも関わらずドヤ顔で堂々と間違うのはだいたい後者。

たぶん、前者にとっては自己主張=世界平和を乱す行為なのです。
繋がりとバランスが最優先な生き物なのです。

だから、自分が後者っぽい方がバランスがいいんだなって思ったらニセ後者にもなっちゃうんです。その裏側に罪悪感やコンプレックスがあったりしつつ。

この「場」では強く発言する人物像を求められてると察知したら、嫌われ役だって買って出るんです。後で、言い過ぎたかな、なんて思いつつ。

だけど、そうまでして頑張ってるのに、気付いてもらえない。わかってもらえない。感謝されない。何なら文句も言われる。
そうしてたまった悲しみは悪意となる。

例えば、

「この先の角を曲がった道路の真ん中に大きな穴が開いている」

ことを、知ってるけど教えない、みたいな。
この人だったらウッカリはまっちゃいそうだな、とか、分かっていながら、言わない。未必の故意。
で、結果、ウッカリ穴にハマって「わぁぁ!!」ってなってるのを見たからって別に、溜飲は下がらないんです。
穴にハマっても、大して困ってない、何なら「またやっちまったわー!」って笑ってる後者を見て、

「ほら、教えなくても別に困ってないやん。」

ってまた拗ねる。

「ほらね、居なくてもいいんやん、私なんて。」


って悲しくなる。

仕返ししたいんじゃない。
イジワルしたいんじゃない。
謝らせたいわけでもない。 ← 後者のゴメンナサイは、相手の怒りをおさめる為の反応でしかない場合が多くて、本当に「わかった」時の謝り方とは明らかに違うので分かりやすい(笑)



私はあなたを見つめているけれど、あなたは私を見ていない。
私はいつも見つめる側で、私のことは誰が見つけてくれるんだろう。
ずっとずっと、私はここにいるのに。
寂しい。
私に気付いて。
私の愛情に気付いて。
ウザいとか怖いとか面倒くさいとか言わないで。
私を無視しないで。




…てことなんですよ。あー心の叫びがダダもれ(笑)
ま、前者後者論を知ってからはこの切なさもずいぶん解消されました。

仕方ないし。ヤツら、後者やもん。
その時点で最強やもん。
自分を見つめるのは、まずは自分でやんなきゃね。
世界平和を守ろうと、必死で頑張ってるその手を放せ。
意外と大丈夫だから。
全部頑張らなくてもいいから。
その手で自分を抱きしめろ。
そしたら、違う景色が見えてくるよ。