こんにちは、アケノです
実を言うと、体調がものすごく悪い。酷い倦怠感で、実は食欲もあまりまりません。何が原因か…思い当たる節はあれしかなくて…。
あれは、平成最後の年、平成31年3月のこと。転落事故にあって頭蓋骨骨折、外傷性くも膜下出血で1週間ほど入院したことが。
何回も臨死経験しているし、もしかすると、今感じている体調不良はかなりやばいと思います。
それにしてもです。
今振り返るとサイテーな人生を送ってきたなぁ。と。
アケノには一つ年上の兄がいる。父も母も死んだから、お互い唯一無二の血を分けた肉親として、互いの存在を大切にしないといけない。
そうでなくとも、絆をほどいてはいけないと思う。
兄は高校を卒業すると、すぐに大学浪人を自称する何処にでもいるフリーターになった。1年ブラブラしていて、見かねた父が一喝。
語学堪能だったため、実家の新規事業としてヘリの事業用免許の取得を言い渡され、カリフォルニアに。その頃ちょうどアケノは情報処理の専門学校に進学した。
あの頃は本当に良い時代だった。専門学校は新大久保にあったのだが、まだまだ昭和の情緒が残っていて、大久保通りの角には、肉屋さんが揚げるコロッケとか売ってて。定番はそのコロッケとお向かいの甘味処のおにぎりが定番だった。
兄のライセンス取得と、自分の進学に、長男はミシガン州立大学への入学。そんな大変な時期に、次男の大豪遊が始まった。
ヘリの事業用免許半年間のカリキュラムで、食事付き1000万円ぐらいで取得できるはずだった。
が…ファミリーカードで毎月のショッピング20万円、キャッシングは毎月20万円〜30万円にのぼった。約束の半年が近づくと、「ヘリの事業用免許は難しい」だの「英会話が…」だのと言い訳を付けて、もう半年。
年収600万円。随分と高待遇。
私は、長男の夢をとても応援していたので、チョット学費の高かった専門学校を中退し、実家に就職するという形で家事や会社の手伝いに入った。
その頃、次男のカリフォルニアでの大豪遊の煽りを受け、祖母の役員報酬が大幅に減額され、父は祖母に8万円を小遣いとして渡すことで同意。
しかし、その8万円の出所はと言うと、私の給料10万円からだった。
その同時期、見栄っ張りは父は「日本人として、戦争犯罪に向き合わなくては」と、何名もの中国人留学生の身元保証人になり、彼らたちに施しをしている。
当然、私から反感買わないわけがない。
母は私に…
「お母さん貧乏しても構わないから、アンタの事応援してる」「次男が帰ってきたら、お前の好きなようにさせてやるから」
と、いつも励ましてくれた。そして、もう、約束の半年が過ぎても、「あともう少しで取得できそうだ」と。
ある日、兄は自称ガンマンだったから、仲間と連れ合い、ラスベガスの射撃場にゆき、ディナーを賭けた勝負を挑んだ。
結果ボロ負けで、ディナー代10万円を親に押し付ける始末。
そんなこんなで3年。結果が出なくて「もう半年」とせがむが、流石にそこまで甘くなかった。父は航空会社に勤務させて実務経験を積ませたあと、実家に還元する予定だったが、総額8000万円が潰えただけに終わった。
長男も大学を卒業し、帰国後、長男と次男、私とであった時、何故か長男がニヤニヤしながら「オヤジ早く死なねぇかな」と呟いた。次男は小躍りしながら喜んだ。私は単に悲しかった。
そして、父と次男は大喧嘩。あろうことか「長男がオヤジ早く死なねぇかなって言ってたよ!」とか言ったんだろう。
父は次男を叩き出す時に、部屋を借りる資金として1:00万円を渡してる。そんな次男の人柄も、長男は好きではなかった。
自分としては、卒業してからのブランクを長引かせたくなく、早い時期に新卒扱いに近い状態で就職したかったが、
「お前を何処に出しても恥ずかしくないようにしてからだ!」
とか、
「都内の地理を完璧にマスターしてからだ!」
と、自分の商売に潰しの利く仕事しか、認めようとしなかった。
まあ…それでもそれなりに好きなようには出来たが、次男のヘリのドロップアウトにかかった8000万円ほどはかけさせてもらっていない。
そして、病院の仕事を辞めてマトモになったと思った次男は、レノン様となって実家に横滑りをする。
その頃になると、職を転々とした経験。それも、父の激しい嫌がらせにあい、精神的に長続きしないから。何度も「疲れて返ってくるんだから、ゆっくり休ませてくれ」といっても、それが、狂犬にとっては獲物を弱らせる良い餌として取られ、荒れ狂う凶犬と化した父には「喰い殺してくれ」と言っているのも同じだった。
次男が何故実家の仕事についたのか。それは、先に述べた通り、凶犬の一番の被害者は長男で、まさしく父に咬み殺された。
長男の死後、アケノもパソコンを勉強し直し、データ収集や取引先との交渉もうまく行き、稼いだ金は殆ど社員に流れた。
色々と、ブラック企業にも務めた経験から言って、実家の会社が何処よりも酷いブラック企業だと思った。
次男は、私がいると成長しない…子供を見るようなもの。
世の中のタブーは、子供の前では大人の悪口は言わないもの。しかし…父は違った。次男は子供の前では虚勢を張り
「あー…なんてこんなみっともない人が自分の兄なのか?」
と思うと嘆かわしくてどうしようもない。
喧嘩に勝つためであれば、ふたりとも手段を選ばない人。
そして、3年前、父は死んだ。
そこから1年もしないうちに、取締役でもあった叔父が死亡。
そして、本来なら先月、叔父の三回忌法要を7月14日の命日に合わせて執り行わなくてはならない。
喧嘩に勝ちたい一心で我を張り続けた結果がこれです