写生の円山応挙、その流れを汲む画家たち
言葉で人生をひらくナビゲーター、Yokoです。
昨日、上野の東京藝術大学大学美術館で「円山応挙から近代京都画壇へ」という展覧会を観てきました。
円山応挙は、江戸時代中期〜後期(18世紀)に活躍した画家です。
先日、「チコちゃんに叱られる」で「幽霊に足がないのはなぜか」とりあげられていましたね。ご覧になっていた人はおわかりだと思いますが、足のない幽霊画の祖が、応挙なんです。
応挙の幽霊画は、これぞ日本の幽霊っていうかんじの、儚さを湛えた怖さがウリです。
赤ん坊を置いて死なねばならなかった女の幽霊が、夜な夜な水飴を買って子どもになめさせる、という幽霊話があります。私がイメージする子育て幽霊のイメージは、応挙の絵の彼女なんですよね。
幽霊画はちょっと脇において。
もともと、日本画(実は日本画という正式ジャンルはないのですが)には、「画題」というものがありました。
例えば、中国の古典文学から題を得てその世界を描く、といったように、深く鑑賞するに当たっては一定以上の教養が必要とされていたのです。
応挙が得意としたのは「写生」でした。
自然界や人物を、ありのままに描くことを旨としたのです。
絵を描くなら、今では当たり前のことですよね。でも、特定のテーマより写生を重要視したのは、応挙が初めてじゃないかな。
展示された絵画の中で私が目を奪われたのは、大掛かりな襖絵ではなく、生き生きとした生物図です。
図鑑のように精緻に描かれた植物、鳥、虫、魚たち。
伊藤若冲の絵を見たときにも感じましたが、命への愛情とリスペクトがほとばしっています。
私は生物が好きなので、隅から隅まで見てきましたが、どこにもごまかしがなく、これはマガモ、これはコガモ、と瞬時にわかるほどの正確さです。
そして、応挙の流れを汲む優秀な画家たちも、生き物や自然の力を縦横に描ききっています。
展示の最後に、川合玉堂の絵がありました。
応挙よりずっと時代が下った明治期の画家です。
今回展示されていたのは、彼の最高傑作ともいわれる「鵜飼」でした。
玉堂は鵜飼のモチーフを何度も描いていますが、これは東京藝術大学大学美術館が所蔵する1枚です。
娘と二人で、絵の前にしばし佇みました。
篝火の光、煙、水の流れ、篝火の光を反射する水面、鵜の紐をあやつる漁師たち。
漁師の声や水音が聞こえそうな作品です。
でも、と娘が言いました。
「やっぱり時代が全然違うよね」
我が娘、さすがにディスクリプションを重ねてきただけのことはあります。
それはさておき、実際、江戸時代の画家たちの筆致と、何かが違うのです。
特に、人物の体の描き方が違うと感じました。
筋肉の重さを感じるといえば葛飾北斎の人物画もそうですが、北斎が筋肉を感じさせるのと比べ、玉堂の人物は「脂肪もある」という印象なんですよ。
様々な理由はあると思いますが、玉堂は西洋的な技術を取り入れていたかもしれません。デッサンのアプローチが違うような印象でした。
応挙一派の写生画から始まり、玉堂で締める。
日本絵画の底力を感じる、なかなか良い企画でした。



