蓮澤直美が、官能美にいたるまでのセクシャル・ライフ☆ | ヌードな貴方が目覚めるセルフオーガナイズ            ~もっと深く、もっと奥へ~






私は、とてもこだわりが強いおしゃまな子供だった。






髪形やピンの位置は自分で決めて、絶対に人の言うことを聞かない。

幼稚園の学芸会では
必ず姫役。

写真を撮られる時は中心でポーズ。

幼稚園で、近所で評判のかっこいい男の子とファーストキス。

大人のおじさんが、子供の私に性的な欲望を抱いているのもなんとなく察知していた。

そんな私が小学生でニューヨークに移住。







帰国子女として日本に帰ってきてからは、

自由奔放なセクシャルライフを謳歌した。

次から次へと新しい経験が四方八方から押し寄せた。








自分の身体を交渉材料として使うことに何の罪悪感も持たない代わりに、

自分の内側に焦点をあてて、深く“感じる”こともなかった。

ただ、さしだされるプレゼントを受け取る快感で日々を過ごしていた。

今おもうと、

この時私の女性性は開花していたのだろうが、

とても低次元のものだったのだろう。








自由な私を見守り、

愛し続けてくれた彼と結婚し、

すぐに男の子を出産。








すると、私の肌に異常が出始めた。

特に、顔がひどかった。

慣れない土地で子育てをしているストレスのせいだと思っていたのだが、
一向に良くならず、

食べれなくなっていった。

良くなりたい・・・という必死の想いで、

病院での治療、

あらゆる心理療法、

音楽セラピー、

カウンセリングをうけたが、

この時に芽生えた感情は(今までセクシャリティを乱用した罰)がくだったのかもしれない・・・、

という罪悪感だった。







それからは、

まるで(修道女)のような私になった。







自分が感じる(気持ちがいいこと)よりも、

誰か偉い人が言っている○○のやり方や方法論、

セラピーやチャネリングを奉る、

いわゆる自分軸がない状態。

有名なすごい人や先生に、

“私って誰?私ってどんな人なの?”と聞きまくって、

メッセージをもらっては安心し、

自分の性質をグループ分けやジャンル分けされては安心した。

もちろんセックスも苦痛だった。

今おもうと、

この時私は極端に(善)になろうとして

(~するべき)という方法論に傾きすぎる低次元の男性性が活性化していたのだろう。








それまでの私の人生は、

低次元の女性性(受け取ることに貪欲だが、人の痛みがわからない)に偏りすぎていた時期と、

低次元の男性性(自分には何かが足りないと思い、がんばりすぎること)に偏りすぎる両極端の時期で、

織りなされていた。







地球は、善と悪、光と闇、陰と陽などの極性が存在する領域である。

どちらに偏りすぎてもバランスを崩し、

(本当の自分にもどりなさい)というゆさぶりが、

病気や苦しみ、かなわない想いとなって起こる。








【官能的な人】というのは5官を楽しむことが大好きだ。

だが、

【官能】と【セクシャリティ】とは意味が違う。








【官能】とは感覚に関するあらゆることを堪能することであり、性的にとは限らない。

対して、【セクシャリティ】とは性的器官にまつわることだけを言う。








私が提唱する
【官能美】とは、

低次の女性性と男性性を高次元にまで引き上げて、

精神美と統合することである。

すると自由奔放で常に変化しつつも、

自分軸がしっかり立っているので、

他人の喜びや痛みを自分のものとするワンネスの中で孤独から解放される。








今の私はオンナとして最高の成功を手にしている。

それは条件付きの世界で、皆が認める成功とは少し違うかもしれない。






でも、

性という最もダイナミックな(本当の自分を知る気ずき)への最大の近道と、

自分が感じることを一番に信頼する勇気がある。

最愛の人の腕の中で身悶えることが、

恥や悪ではなく、

最高の自分になる最大の近道だということも知っている。








これらは自分で計らって手にいれたものじゃない。

努力して、がんばって、手にしたわけでもない。

大地にしっかり足をつけ、

今を生き、感じ、感謝し、自然の力に委ね、

波にのって引き寄せるエクスタシーのようなものだ。








官能美を生きる女性は、地球の女神たち。

そんな女神の波動を広げ、伝え、わかちあう喜びの中で生かされて、

私は現在にいたっている