父と二人で、温泉旅行に行きました。
ホ・オポノポノのイハレアカラ・ヒューレン博士に似ています。
父もハワイに移住して、人類光明化運動のリーダーとして活動していました。
今は歩けなくて、介護が必要な父。
バリバリのエリート商社マンで、世界を股にかけて活躍し、威厳のあったあの頃、私は父の力にしっかりと守られて、何の心配もなく生きていました。
久しぶりにあった父は、
全身からみなぎっていた戦闘心がすっかり抜けて、
苦しみも喜びも、すべてを“ゆだねて”いる。
生きるために必要なこと総てを1人でできなくて、
皆に助けてもらって存在している。
食べること、想いを伝えること、移動すること、トイレにいくこと、お風呂に入ること・・・。何一つ1人でできなくて手伝う私に、“ありがとう、ありがとう、ありがとうな、直美”と言って、受け取り続けている父。
“おしっこもらしちゃった”と、全身びっちゃりになりながら
申し訳なさそうに苦笑いする父。
“直美の前では、恥ずかしい”と、おしめを取り換えるのを嫌がる父。
一緒にいると、涙がでてきます。
男性は一生のうちに、こんなにも姿を変えて、
私を愛し続けてくれるものかと。
介護を何1つ知らない私が、
結局父のすべてを目のあたりにし、
心も体もヌードな父と一緒にすごした三日間でした。
私は父の前では、ドレスアップする必要性を全く感じません。
普段はスカートとヒールの私は、この時は、車いすを押すためにひっかからないパンツとスニーカー。
じゃまにならないように長い髪を1つにまとめ、リュックを背負い、化粧なおしのいらないスッピンですごします。
父が望むことのために全身全霊をかける私は、母性愛がマックス状態、そして時々顔をだす少女性。
ありのままで愛されていると信じきっていた少女の頃の思い出がよみがえり、愛されるための装飾を何も必要としないのです。
自分を愛し、人から愛されるために、メイク&ドレスアップをし、外ずけの魅力を身に纏うと・・世界中に愛されているような甘美な喜びを享受できます。
しかし。
父と一緒にいるときに感じるこの至福感は、何なのでしょう。
社会的には弱者にみえる私と父に、すべての人が優しい眼差しをむけ
“Can I help you?(何かできることはない?)”
と、助けてくれるのです。
ある日、エレベーターの中で父が乗っている車いすがひっかかって、
身動きがとれなくなってしまいました。
するとパーサーの外国人の男性が、ひょいと車イスを持ち上げて、
“こうするともっと楽に押せるよ”と、笑顔で助けてくれました。
何度も何度も、“お人”に助けられて繋がる甘美感。
褒められることや、華やかな美しさの中にある甘美な喜びとは対極にある、「究極の美」とは、弱さをさらけだし助けあう人と人との触れ合いの中にある。
それは、1人の人がかもしだす見た目の美しさを超えた、
私たちの根源である神が、人を通じて表現される【純粋な真心】の中にあるのだと、切に切に体感したのです。
究極の美とは。
人の痛みを知り、人を想う気持ちの中にある。
それが私達人間が到達する最終ゴール。
社会的地位があり、たくさんの鎧をまとって
自分の弱さをさらしてこなかった父の人生の中で
今やっと彼は、心も体もヌードになり。
私に究極の愛と美を伝授してくれているのですね。
事情があり、あまり会えない父。
一緒にいるときだけは甘えさせてね。
その大きな存在に。
永遠の愛と感謝をこめて・・・
父もハワイに移住して、人類光明化運動のリーダーとして活動していました。
今は歩けなくて、介護が必要な父。
バリバリのエリート商社マンで、世界を股にかけて活躍し、威厳のあったあの頃、私は父の力にしっかりと守られて、何の心配もなく生きていました。
久しぶりにあった父は、
全身からみなぎっていた戦闘心がすっかり抜けて、
苦しみも喜びも、すべてを“ゆだねて”いる。
生きるために必要なこと総てを1人でできなくて、
皆に助けてもらって存在している。
食べること、想いを伝えること、移動すること、トイレにいくこと、お風呂に入ること・・・。何一つ1人でできなくて手伝う私に、“ありがとう、ありがとう、ありがとうな、直美”と言って、受け取り続けている父。
“おしっこもらしちゃった”と、全身びっちゃりになりながら
申し訳なさそうに苦笑いする父。
“直美の前では、恥ずかしい”と、おしめを取り換えるのを嫌がる父。
一緒にいると、涙がでてきます。
男性は一生のうちに、こんなにも姿を変えて、
私を愛し続けてくれるものかと。
介護を何1つ知らない私が、
結局父のすべてを目のあたりにし、
心も体もヌードな父と一緒にすごした三日間でした。
私は父の前では、ドレスアップする必要性を全く感じません。
普段はスカートとヒールの私は、この時は、車いすを押すためにひっかからないパンツとスニーカー。
じゃまにならないように長い髪を1つにまとめ、リュックを背負い、化粧なおしのいらないスッピンですごします。
父が望むことのために全身全霊をかける私は、母性愛がマックス状態、そして時々顔をだす少女性。
ありのままで愛されていると信じきっていた少女の頃の思い出がよみがえり、愛されるための装飾を何も必要としないのです。
自分を愛し、人から愛されるために、メイク&ドレスアップをし、外ずけの魅力を身に纏うと・・世界中に愛されているような甘美な喜びを享受できます。
しかし。
父と一緒にいるときに感じるこの至福感は、何なのでしょう。
社会的には弱者にみえる私と父に、すべての人が優しい眼差しをむけ
“Can I help you?(何かできることはない?)”
と、助けてくれるのです。
ある日、エレベーターの中で父が乗っている車いすがひっかかって、
身動きがとれなくなってしまいました。
するとパーサーの外国人の男性が、ひょいと車イスを持ち上げて、
“こうするともっと楽に押せるよ”と、笑顔で助けてくれました。
何度も何度も、“お人”に助けられて繋がる甘美感。
褒められることや、華やかな美しさの中にある甘美な喜びとは対極にある、「究極の美」とは、弱さをさらけだし助けあう人と人との触れ合いの中にある。
それは、1人の人がかもしだす見た目の美しさを超えた、
私たちの根源である神が、人を通じて表現される【純粋な真心】の中にあるのだと、切に切に体感したのです。
究極の美とは。
人の痛みを知り、人を想う気持ちの中にある。
それが私達人間が到達する最終ゴール。
社会的地位があり、たくさんの鎧をまとって
自分の弱さをさらしてこなかった父の人生の中で
今やっと彼は、心も体もヌードになり。
私に究極の愛と美を伝授してくれているのですね。
事情があり、あまり会えない父。
一緒にいるときだけは甘えさせてね。
その大きな存在に。
永遠の愛と感謝をこめて・・・




