以前
「私がウツなんかに
なってしまったせいで
何も出来なくてすみません」
「何も出来ないのに
存在していてすみません」
という気分でいた頃は
自分から要求する、
ということが出来なかった。
動けなくて、
自分でご飯が用意できなくて
困っていても
「私のゴハンを用意してくれ!」
とは言えなかった。
存在しているだけで
申し訳ないのだから
そのうえ要求など厚かましすぎるので
相手の方から
「何か買っていこうか?」
と聞いてくれたら
じゃあお願いします、と言っていい。
聞かれたらお願いするけど
自分から
「私のためにわざわざ買い物をしてきてくれ」
とは言わない。
「相手が許可してくれたら」
と
自分の行動を相手を基準にして
決めていたのです。
そういうのをやめて
ちゃんと要求する
ちゃんとワガママを言う
ということを始めてみたら
それまでは、
自立(お金を稼いで家事をして
自分の力で生きられる、という意味での)
ができなくて
人に依存して生きている自分を
責めてきたけど
「相手に申し訳ないから」
と思う発想
それこそが依存なんだと
わかった。
それは、
ちゃんと自分から要求して
ワガママを言うことを
やってみて
はじめてわかったことだった。
(※自分から要求することについては
これにも書きました
やってみないうちは
申し訳ない、と思うことは
まるで
「人の気持ちを思いやって
良いことをしている」
ような感覚だった。
それが大きなカンチガイだ
ということは
申し訳ない、の世界から
抜け出してみないことには
わからなかった。
人に面倒をみてもらって
人のモノをもらって生きる
自分のゲスさを
受け入れる、隠そうとしない
というチャレンジは
「周りの人のために」
「あの人のために」
という依存から
抜け出すためのチャレンジだった。
そのチャレンジが、そのまま
「ウツを使わない」
練習になった。
今は、
ああウツに依存していたんだな
とわかる。
こう言うと、今ウツの人は
ウツになるような人は
依存しているんだ!
って言われてるように感じて
悲しい気持ちになったりするかもしれないけど
そんなことが言いたいんじゃない。
言ってしまえば
私たちはみんな何かに依存している。
「私はウツである」
ということに依存していることもあれば
「私は良い妻である、良い母である」
ということに依存していることもある。
成功してる人である
人気のある人である
優しい人である
優秀な人である
世間の価値観の通りに生きる正しい人である
自己実現を叶えてキラキラして生きているステキな人である・・・
依存先は、いくらでもある。
ウツになって
たとえば仕事ができなくなったりした時に
また元のように
仕事ができるようになりたい
と考えるのは
「私はウツである」
という依存先では
かっこわるいので
「私はちゃんとした社会人である」
という
元の依存先を取り返したい
と言っているのと同じ。
「ウツがなおって仕事復帰」
「そしてまた倒れてウツになる」
みたいなのは
依存先を
「ウツ」にしてみたり
「ちゃんとした社会人」
にしてみたりして
依存先を取り替えている
だけなので
結局なにも変わらない。
大切なのは
ウツというチャンスを使って
その
「依存先を取り替えるだけ」
というループから
抜け出すこと。
せっかくウツが
新しい世界に移行するチャンスを
もってきてくれているのだから
「元のように」
とか
「元以上に見栄えがいいように」
なんて願うのは
あまりにもったいないことだ
と私は考えています。
ウツという大チャンスは
自分のために「使って」こそ
なのです。
続きます。
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