私、子供の頃は泣き虫だった
毎日ワンワンないていて
親も家族も困らせていたと思う


でもそれは小学生低学年までの話で
そこから先はぱったり泣かなくなった
「また泣いてる」
「うるさい!」
「泣けばすむと思ってる」
って毎回家族に言われて


泣けなくなっちゃった…


特に最後の「泣けばすむと思ってる」は幼心に深く傷ついて「泣いたらいけないんだ」の思い込みが刷り込まれた原点


じゃあなんで私はそんなに泣いていたんだろう?一体何を訴えたかったんだろう?
って振り返ってみると


心に爆弾を抱えた父親の、神経質や異常な押し付け、どこかいつも寂しそうで不満そうなお母さんがたまらなくってね…


何とかそれを解消して明るい家庭を作らなくちゃいけない!って必死だった


そう、そこに「私」の感情はなかった。

全ては「親の幸せ」の為。


この経験が、
「生きる」と言うことは、自分ではなく、他人のご機嫌を取ることだよって。
「上手くいかない出来事があれば、全て私が悪いんだよ」っていう


完全に間違った認識が
完璧に脳にインプットされちゃった、瞬間であり紛れもなく私が体験した事実なんだ


↑ここ超重要

(間違った認識だとしてもね)



で、間違った認識だけれども、確かにあったその事実を、理解も納得もせずに記憶を書き換えたり、お父さんは悪くなかったんだよとか、愛されてたんだよとか、無理やり思ってもそれは違う


ハッキリ言うと

お父さんは悪かった。
そのことに関しては。


自分の子供に自分のイライラをぶつけて
叱咤し子供をはけ口の対象にしたのは、
悪かった。


そうするとね
私の中の、けなげな子供が


私のお父さんは家族を養ってくれ、充分な教育を受けさせてくれた。経済的に恵まれていた。悪いこともあったけど、良いところもあるんです!悪い人じゃないんです!

ってなる。
お父さんをかばい始める。


父親を悪者にするなんて、
後ろめたさや、罪の意識を感じてしまう、と…

(ここで頭がぐるぐるしてわからなくなっちゃう)



だけどね、
違うんだよ


良いところもあって、悪いところもあるんだけど、

それをごっちゃにしては駄目!!!

良いところはまた別の話!!!

良いところは置いといて、
今話をしているのは、
小さな私が感じた感情は紛れもない事実で、
当事の理不尽で窮屈な思い!!!


その悲しかった、苦しかった、虚無感を抱えて親の為
に生きてきてしまった現実からもう逃げないで、何度も噛み砕いて反芻して、受け入れてみるの。


罪は罪
なんだよ

例え親子でも。

しっかりと憎みきる!の。
父親を。

「罪を憎んで人を憎まず」

ってやつです









するとね
私の場合は



当事の小さな私と、大人になった今の私と、大人になりきれていない私の中の子供がそれぞれ納得をした。
長年の囚われからようやく脱け出した
感じ。



ここまで理解するのに、うんと時間がかかった。繰り返し自問自答をして、悩んで苦しんで、支離滅裂な思いが浮かんだり、イライラして落ち込んで、過食して抑うつ状態になったり…


長かったょ。




父も私も誤った生き方を学んできたことをようやく理解した。


事実を受け止めて憎みきったから
その上で、父親のことを愛したいなら愛せばいいし、ありがたいと感謝すればいいのだと、ね。