その昔一世を風靡したゴダイゴというバンドがありまして、その代表曲としてまず挙げられるのは、これだったり


これだったり

これだったり

するのですが、


その他にもこんな歌があります。


今日も子どもたちは、小さな手をひろげて
光と、そよ風と、友だちを呼んでる
だれかがどこかで答えてる
その子の名前を叫ぶ
名前 それは燃える生命(いのち)
ひとつの地球にひとりずつひとつ

Every child has a beautiful name
A beautiful name, a beautiful name
呼びかけよう名前を、すばらしい名前を


「燃える命」というあたりにあらゆる可能世界を貫いて同一性を担保する固定指示子としての固有名が持っているロンギヌスの槍みたいな凄まじいパワーを彷彿とさせます。



「ひとりずつひとつ」というのは、ひとつの固有名のもつ、一人一宇宙を連想してしまいます。


何者でもなかった者が命名というある種神秘的な行為により固有名を刻印されることであらゆる可能世界で同一性を得るというのが、『名指しと必然性』におけるクリプキの議論なのですが、この話には前段がありまして、


かのバートランド・ラッセルが彼の「記述理論」において「固有名は省略された確定記述だ」と論じたのですが、固定指示子の概念はそれへの批判となっているわけです。


ラッセルの議論は、簡単に言うと「アリストテレス」という固有名は「アレクサンドロスの家庭教師」とか、「紀元前何年にどこそこにだれそれの子として生まれた」という記述によって特定される対象をそれらの記述を省略して指示する機能を持つものということになります。


そうなると、その人物がなにかの拍子にアレクサンドロスの家庭教師をしないことになってしまったら「アリストテレス」ではなくなってしまうことになります。一方で我々はアレクサンドロスの家庭教師をしなかったアリストテレスが存在する可能世界を想定でき、アリストテレスはアレクサンドロスの家庭教師であろうとなかろうとアリストテレスということになり固有名の固定指示子の機能が示されます。


この考え方でいくと、「バラ」という花は香りがあろうとなかろうと「バラ」と呼ばれるはず。「バラ」という名前は香りのある可能世界でも香りのない可能世界でも固定指示子として働くはずだからです。


そうすると、「ロミオとジュリエット」のジュリエットの言葉、



名前にどんな意味があるというの?

バラという花にどんな名前をつけようとも

その香りに変わりはないはずよ


が言わんとしているのは「バラ」は「特定の香りをもつ」という確定記述を代わりをしているということになるのでラッセルの説と同じことになります。

これはどういうことなのか?

正直よくわからないのですが、最近Netflixのランキングで1位になっている「サラキムという女」というドラマがありまして、


その中でこんなセリフがあります。



明らかに「ロミオとジュリエット」を引用しております。


どういう文脈かというと…


下水道で顔を潰された女性の死体が発見され、足首にあるタトゥーからどうやらサラキムという名前の女だということがわかる。サラキムは高級ブランドの韓国支社の代表でトップセレブなのだが、刑事たちが身元を洗っていくうちにいろいろ不審な点が浮かび上がってくる。


どうやらサラキムというのは偽名らしいということがわかる。


いやいや偽名とはいっても元来の性格とかバックグラウンドは痕跡を残すはずだろ?というのが上記の引用の意図なわけです。


サラキムにはそれが何か明かされないのですが生まれた時に命名された固有名があり、それが後にサラキムという偽名を名乗る可能世界と名乗らない可能世界を貫いているわけでここはクリプキの議論は成立するように思えます。


ジュリエットの薔薇発言も、別の名で呼んだとて固有名が変わるのではなくて、その指示対象が別の名で呼ばれる可能世界に移動するだけなのでやはり固定指示子は機能していることになるのではないかと思われます。


でもまあジュリエットは薔薇がどうこうではなくて、ロミオがモンタギューという家名から解放されればワンチャン恋が成就すると思っての発言なのでサラキムが偽名を名乗ることで過去や出自かや自由になるのと同じような状況だと言えます。


ともあれ、このドラマはとてもおもしろくて8話で完結するので実際に見てその後の二転三転する展開も確認していただくと名前がいかに熱く燃える命(呪力)を持っているかお分かりいただけるかと思います。


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