こんばんわ
今日は4月1日でエイプリルフール。
おまけに切りのいい新月です。
楽しいウソをつこうかと思っていたけど、
早朝からお日さまに恵まれワクワクしたら忘れました。
お布団を干しシーツなどをたっぷり洗濯し、
自室をていねいに掃除できたし、庭の草まで楽しく抜きました。
ホントにいい季節です。
なんてったって春なのです。
所用があってわが妹が来てくれました。
血が繋がってる存在がいるっていいものです。
美作市在住の作家・あさのあつこさんの『春爛漫』のお話。
あさのさんは「おばあちゃん子三姉弟」だったそう。
わたしも「ジジババっ子三姉弟妹」で育ったので、
とても親近感を抱きながら読みました。
おばあちゃん子は三文安いと言われる。
年寄りに甘やかされて育ち、
躾(しつけ)ができていないと揶揄(やゆ)する格言(?)だと思うが、
確かに当たらずといえども遠からずかもしれない。
ー中略ー
しかし、全国のおばあちゃん子のために弁明すれば、
おばあちゃん子は、なかなかに貴重な存在だ。
人が歳を経ていく意味も価値も知っている。
親とは異質の愛を知っている。
それは、ときに押し付けがましくて、
古臭くて、慎重すぎて束縛に近いものともなるかもしれない。
けれど、愛にかわりはない。
多様な愛を注いでもらった子を不幸せとは誰も言うまい。
愛は多様であり、多様なくせにどれも必ず束縛と解放の二面をもつ。
単純なくせに、人の心の迷宮ともなる。
美しくもありおぞましくもあり・・・・・。
愛情談義は、またのこととして、
わたしの祖母は特別信心深いわけでも、
特定の宗教に入れ込んでいたわけでもない。
長男を戦争で亡くし、わたしの母を育て、
日々を忙しく過ごし、90年以上の生涯を生き抜いた人である。
わたしは、その人に自分の傍らに小さな神さんがいることを教えられた。
花にも樹にも朝露にも神は宿る。
自然とは偉大で豊かで、畏れ敬うものなのだと。
これが、わたしの自然崇拝の原点となった。
おばあちゃん子は自然と神さまが好きなのだ。
ただ、この国で「神」という一言は、とても胡乱なにおいを放つことがある。
そういえば、ずっと前「神の国」発言でひんしゅくをかった総理大臣がいた。
あのころはまだ、神というより、
その一言を口にする人物の故乱さを見抜くだけの視力を
わたしたちは有していたのだ。
ここ数年の視力低下には唖然とする。
むろん、自分を含めての。
神は、信じよと強制などしない。
他の民族や国を滅ぼせとも命じない。
それは全て人のなすことだ。
神はただ、傍らにおわすだけだ。
春爛漫なのに、戦乱は止まない。
この世界におばあちゃん子が溢れればいいのにと思う。
あさのあつこ
