甘える勇気 | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわ雨
 
 
 
 
今日のブログでさとうみつろうさんもおっしゃってましたが、
雨が降るのがこれほどうれしいのは久しぶりです。
井戸水を引っ張ってがんばって水やりをするのも疲れてましたの。
クワを使うのも限界に達するのが早くて、自分の体力の衰えをしみじみ。
 
 
 

 
 
 
「老いと闘う時期から、老いを受け入れる時期への移行が必要」
とお話される精神科医の和田秀樹さん。
 
 
老いと闘うとは、
体力や外見、気持ちのあり方などの老化の進行を遅らせる努力をすることです。
その時期において「人に頼らずに生きよう」と考えるのは、
決して悪いことではありません。
しかし、それには限界があり、
「そろそろ闘えなくなってきたかな?」という自覚が出てきたら、
そこで生き方を変える必要があるのです。
それ以降は老いを受け入れて、上手に人の手を借りる。
それだけではなく、いろんな物の力を借りることが重要です。
 
 
耳が聞こえにくくなってきたのに、補聴器をこばむ。
足腰が弱ってきたのに、杖を使わず、転倒して骨折してしまう。
体の衰えを補う道具の力を借りないのは、
老いを受け入れることができていないからではないだろうか。
 
 
「老いを受け入れる」とは、
体が衰えていろいろなことができなくなっても、過度に落ち込まず、
「人や物の助けを受けて生きるのが当たり前」と思える心をもつことです。
 
 
できないことは人に頼ったり、人の助けを借りたりする。
それは高齢者にとって当然のこと。
しかし、そのときに妨げになるのは、
「周囲に迷惑をかけてしまう」という思いではないだろうか。
 

 

 
 
 
 
 
 
たとえば「老々介護」において、
自らも高齢の介護者が「人に迷惑をかけたくない」という一心で、
自分一人で介護をがんばりすぎた結果、
心身ともに疲れ燃え尽きてしまうケースがあります。
 
社会や周囲の人に頼ってもいいのに、
それができないために「共倒れ」の状況になってしまうのです。
 
 
「人に迷惑をかけてはいけない」
「自分のことは自分でやらなければいけない」という考え方にこだわると、
自分を苦しめることになるのです。
そもそも人は周囲に迷惑をかけながら生きるものではないか。
 
 
私たちは子どものころから、何度も親や周囲を心配させ、
迷惑をかけながら生きてきました。
大人になって社会に出てからも、何度も他人に迷惑をかけてきたはずです。
迷惑をかけずに生きることなど、できないわけです。
 
私たちにできるのは、
人に迷惑をかけないことではなく、
人の助けをありがたく受ける一方で、
誰かが助けを求めてきたときに、
「困ったときはお互いさま」と、力を貸してあげることだと思うのです。
 
 
 

わたしが昭和54年に読んでから大切にしている

 

 
甘えを「いけないもの」と論じたのではなく、
「甘えられないことによる弊害」を説いた本です。
 
 
甘えられない人は、スネたりひねくれたり、
被害者意識を抱いたりして、結果的に社会の中で疎外され、生きづらくなる。
素直に甘えられるのは一つの能力であり、
素直に甘えられる人のほうが、成熟しているというのです。
 
 
いきなり「お金を貸して」と言われたら困るでしょうが、
「力を貸してほしい」
「相談に乗ってほしい」と言われれば、悪い気はしないはずです。
 
 
 
なぜなら、人から頼られるのは、
自分に能力がある、人間的な魅力があるということだからです。
甘えられたり頼られたりするのは、うれしいことであり、誇らしいことでもあるのです。
 
 
「甘えてはいけない」という心情は誰にでもあるかもしれませんが、
勇気をもって甘えてみると、たいてい相手は喜ぶでしょうし、力を貸してくれるもの。
そういう経験をすることで、
自分も相手もいい気分になり、さらには人を信じられるようになります。
年を重ねて何かができなくなったら、素直に甘えればいいのです。
 
 
そうすることが、人と人との関係を良好にし、
人生を明るく幸せなものにしてくれるはずです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
坊ちゃんかぼちゃ(大きいのは切るの大変)と、
コリンキー(生で食べるかぼちゃ)のために、畑の大部分をあげました。
雄花に詰め物をしてカフェディパッセロでお出しする日が来るの待ち遠しいです。
 
 

甘いかぼちゃを食べて、わたしも甘甘人間になりたいです。

 
 
 
 
では、また明日^^
 
 
 
 
「生まれて甘え、老いて甘えるのが人生だ」
 
            By  和田秀樹