こんばんわ![]()
朝からおばあちゃんの精神科に行って、
一息つく間もなく見守り隊の定例会に参加し、
この夏、歌舞伎など観に行こうかと思ってるもんで
お店で洋服と着物をチョイスしまくっていたら
整体に行く時間がなくなった今日の日。
わたしの体、
毎朝の鍬の振り回し過ぎで
ズレてる感アリアリのまんま![]()
畑で体力を使うと、
正直若くはないので、体力の温存ができず、
家の中の掃除がおろそかになります。
で、
この方のブログが更新されるたびに、
「ここまでではないわ
」と安心し、
かつ「ホコリでは死なない」と
お気に入りの呪文を唱えたりなんかして安堵する。
(過去ブログでTVご出演とお聞きし、録画して拝見しました)
みなみさんが書いておられる頃、
パソコンのトップページをワケあって、
Yahoo!JAPANからGoogleに変えました。
違和感がありました。
その違和感の理由が、
みなみさんのこのブログで理解できました。
インターネットのみならず、
SNSが生活の一部になった時代、
わたしたちは時を置かず、
反射的に反応してしまいがちです。
辞書を開くこともなくなり、
ついついネットで検索して
欲しい情報を手に入れてしまいます。
けれど、
記事の見出ししか読まないで反応することに、
あるいは何かに対してとっさに覚えた反発を
言葉にすることに、何の意味があるのだろう。
ブログを書いていると
自分の言葉が間違っていないかとパソコンに聞く。
自分の思いに疑いを持ちながら、
咀嚼し、思いを確かめ
感じたことが伝わるかどうかと迷う。
「疑う」、あるいは「迷う」というプロセスは、
まっすぐな意志と同様に必要なもの。
伝えたいという
「意志を持つことは大切だけれど、
それは常に迷いとセットでなければならない。」
とは国際政治学者・三浦瑠麗さんの言葉です。
「迷い」がSNSに投稿されることはあまりないらしい。
SNSを席巻する大方の投稿は、
自分が「正しい」という主張か、
もしくは皮肉る投稿が多いみたい。
わたしは共感を呼ぶ投稿が好きです。
前向きなメッセージを伝える類のもの。
先の三浦さんはこうも言っておられます。
「ごくまれにだが、疑いを表明する味のある投稿に
出会うことがある。疑いの体裁をとりつつ
隠された主張を押し通すためのものではなくて、
本当の迷い。
そういうとき、人は考えさせられるものだ」と。
元記事とリライト記事、若干の加筆はありますがどちらも基本的には同じ内容です。
これがどのように評価され動くのか検証します、この検証が終わった時点で削除します。
と今日書かれているのがこれ。
ある時から、わたくし相見積もりは取りません。
多少お高くてもお人柄重視。
お金に投機することも好きですが、
人に投機するのはもっと好きなのでございます。
では、また明日(^_^)v
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日本を代表する知識人が、励ましの言葉を込めて読者に届けるガイドブック。
芋づる式に読書の楽しみが広がる期待感が満載です。
三浦瑠麗さんの文章もあります。
