日本語の文章には、パラグラフ(段落)に対する確固とした概念がない、という話です。


外山滋比古著「日本語のかたち」より
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英語のパラグラフがレンガのようだとするのなら、日本語のパラグラフは、トウフのようなものである。
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本の中で外山さんは「結局、われわれにはセンテンスの感覚はあっても、レトリック(修辞学)の次元で問題になることばの単位であるパラグラフの感覚が欠落している。」と書いています。


「意味は改行で区切られる」という考え方でいくと、パラグラフの感覚はなくてもいいのでは?と思います。実際多くの方のブログは、パラグラフが意識されていない形で書かれています。だからってその文章がわかりにくいかと問われれば、多くの人が「そんなことはない」と答えるでしょう。


外山さんは「いまの日本人にパラグラフの感覚があいまいであるとしたら、それは伝統に忠実であることを物語る。パラグラフがなくては文章が書けないように思うのはむしろ、ヨーロッパかぶれしているのである。」とも書いています。


しかしパラグラフを全く意識しないのもどうかと思うのです。冒頭の「トウフ」。これは手でつかんでカンタンにつぶすこともできるし、積み重ねるとぐちゃぐちゃにつぶれてしまう代物です。


まとめとして「両者の中間に、高野ドウフのようなものを考えることができれば、新しい日本語の表現が可能になる。」と書かれている通り、何事も極端になりすぎるとよろしくないですし、一番重きをおくべきはやはり「読み手の理解」。そのためにはどんな文章の形がよいか?そのことを考えることが重要であると考えます。


本の引用が多くなりすぎて「このブログを読むより本を読めばいいんじゃ?」と激しくツッコミが入りそうですね^^;パラグラフ感覚についてはこの本↓に詳しいので、一読されることをおススメします。(該当項目は60ページにあります。)

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