こんにちは。みょうれいです。
さて、このタイトル、
ず~~~~と長い間、私が抱えながら考え続けた来たことです。
具体的に言うと、【悲しみ】ではなく【哀しみ】のことなんですけれどね。皆さんはどう思いますか?
え?何が違うの、、、????って思われる方もいると思うので
少し説明しますね。
まず、悲しみ。
これは何かの遭遇した時
心に受けるショックで、一時的に抱えることかな。
イライラすす、腹が立つ。これらと同じで
瞬間的に、わっと!!わいてくるもの。
怒られて悲しい。
会えずに悲しい。
心が傷ついた時に抱える思いかなって思います。
これは終わりがあるかなって
私は思っています。
忘れることもできることかなと
感じています。
違うことですり替えらることができたなら
治る、直ることかなとも思います。
ほら、気分転換をするとなんだか、マシになるってことあるでしょ?それと同じかな。
または切り傷でも、そこがふさがって治る。
みたいな感じ。
一方、哀しみは、これとは若干違う気がします。
哀しみは瞬間的の受けた心のショック(悲しい)という気持ちが
いつまでも、いつまでも癒されることなく
続いて行く。それには、何かを失ってしまったという
ショックよりももっと深い、心が毎日えぐられていく
ようなものがあるように思います。
これを
【悲嘆】と呼んでもいいかもです。
悲しいみがずぅっと続き、哀しみになる
そして、嘆きがいつまでも続く。
悲嘆のことをグリーフと言いますが、
これには、なかなか終わりがないように感じてきました。
私が一番大きく抱えて来たのは
子どもの死です。
2歳で息子を天国に送り出しました。
私の全身全霊をかけて守ってきた命でしたし
この子が私の生きる意味だったので、
失くした時に悲しみはとても大きかったです。
そして、その悲しみは苦しみとなり、やがて哀しみとして
沁みつき、悲嘆の日々が始まりました。
看取った時
延命はしない、もう終わりにしてあげよう
苦しみから解放してあげよう。
そう思った天国へ逝かせたのですが、
あれで本当によかったのか、
苦しさから解放されたかったのは、
自分だったのではないか??
そう思うとわたしが殺してしまったのではないか
という恐怖と罪悪感に襲われ続けていました。
あれから21年、その罪悪感、哀しみ、悲嘆は
終っています。
ここまで来るのに
あれでよかったのか、本当はたすけられたのではないか
どうすればよかったのか。
これからどうやって生きて行けばいいのか、
その答えをず~と探して、探して、
答が欲しくて、心のくるしみをひも解く
心理カウンセリングを学び
学ことで自分を理解し、癒すこも知り
他の方の支援もしつつゆっくり、ゆっくりですが
進んできました。他の方のグリーフのご相談も受けな方
時には、相談者さんを通して
自分を励ますような気持ちにもなり
時には昔の自分をみているような気持ちにもなり
グリーフのケアをさせていただいているようで
自分のケアもさせていただいてきたように思います。
こうしたことを通して、
今、私が言えるのは、
哀しみにも、必ず終わるはある。
ということ。
哀しみ悲嘆の中にいる時には
永遠にこの苦しみから抜け出すことはないだろう
終ることはないだろう
という気持ちににはなります。
でも、今、苦しい人も
時間はかかるけれど
その哀しみ、苦しみから解放されて
心の中で優しく思いだせる日は
必ず来ると私は信じています。
ただ、一人でその気持ちを抱えるのはとても苦しいです。
寄り添ってくれる人は確実に必要です。
ただ話を聴いてくれる。
そんな人が必要です。
その時に、癒しの作業は始まります。
これを読んで下さっている、あなたには、
話を聴いてくれる人はいますか?
何年経っても、話を聴いてくれる人は必要です。
あなたが孤独でないことを
こころから願っています。
あなたが哀しみから少しでも解放される日がくることを
心から祈っています。
さ、話が長くなりましたね。
今日はここでおしまいです。
読んでくれてありがとう。
月のあかり みょうれいより
