数か月という時間を何もすることのない時間の中で、これまで生きてきた
自分との問答に費やし続けてはみたもののやり始めたころは、
同じ感情と状態を、ただ繰り返すだけで苦痛という以外に当てはまる
言葉は見つかりませんでした。しかし、その心地悪さの中にも、
やればやるほど認めたくはないけど不可思議な法則があることに
次第に気づいていきました。


それは、昨年に入り私を見舞った幾つかの衝撃的だった出来事は
どれも人間関係を共有することもなければ、そのシナリオさえも全く
異なることであるにも関わらず、その時々の私は同じ感情を抱き、
同じ状態に陥り、同じことを叫んでいたのです。
いつも行き着くところは決まって同じ…… 
『 だから!何でなの!』 『 何で、私がこんな目に! 』どの出来事を
振り返ってみても、何度と冷静に客観的に向き合おうとしても、
辿り着くのは何度やっても、何度繰り返してもここばかり。
その度に、その出来事とその相手に、殺意にすら似たような
怒りを感じて、復讐心の火柱が吹き上がって、その中にどっぷりと
浸かってその度に途中でやめては、日を改めてまた向き合うけど、
滑車の中の同じ場所を走り続けるハムスターと同じです。
何度やっても……何度やっても……何一つ糸口は見つからず、
同じ感情を何度も何度も繰り返すだけで……。こんなムカつく腹立たしい、
意味すら見いだせないことを自分でも分からないままに繰り返し
続けたある時……ふと、思ったのです。


その出来事の中で、リアルに感じていた全く同じ感情を繰り返し体験し
味わってきたけど、そのどれもがすべて過去として終わっている。
あの時の私は、一つの出来事のプロセスの中で、その感情を感じると
その振動に振り回されて、状況を打破する術を講じることにエネルギーを
注いでは、それを行動に移して事態をより一層に炎上させていたけど、
今というこの瞬間の中では、同じ感情を体験しながらも、もう自分が
その出来事の場所に存在していないので、行動に移すことがないので、
後の事態の悪化という現実が起きえていないといった単純なことに
気づいたのです。その場所に、何故 自分が存在していないか……?
単純明快です。私が、そこを離れること・去ることを選んで実行したに
他なりません。離れた理由が何であったにしろ、その場を離れ去って
しまえば、もうその出来事自体が強制終了となり関わり様がなくなるのです。


確かに、離れるということは、それによって得ていたものをも同時に
失うことにもなりますが、自分にとってその出来事が苦痛そのもので
あるのであれば失うことと、苦痛からの解放……どちらを選びますか?という
ただそれだけだったのです。その問いかけは、その出来事の中に自らの
選択で身を置いている間ずっと問われていて、その問いの答えは何一つ
強制されてもいなく、YES! も NO! も、いつでも私が自由に選べたし、
選ぶ権利を与えられていました。しかしながら、その時の私自身が自分の
選択として、その時のその出来事の中に留まること……
そして、嫌だ!嫌だ!と言いながらも、自らでまだそれに関わり加担する
ことを選択していただけだったのです。それに気づいてから、もっとその時の
自分を掘り下げていくと……嫌だといいながらも留まることを自分で選択して
おきながら私は、出てしまえば必然で失うことになるものに執着し、
それを正当化する為に、出ない理由を出れないにすり替え、自分にとっての
嫌な状況を~~に与えられた……~~がこうしたから、なったからと
いっては、そのすべてを自分以外のせいにし、何一つにも、どれに対しても
自分には一切の指を向けずに、他へと責任転嫁していたのです。
その瞬間、あっと思いました。


さも、すべてが勝手に自動的に自分に向かい放たれたかのように思って
いましたが、そのすべてを自分が引き起こしていたのです。
相手からも、出来事からも……まるで、誰かが私にそんなことを言った・
やったと認識していたからこそ何で!という疑問が怒りにかわり、
そっちが悪いでしょ!というジャッジとなり、それを正当化し
私は間違ってない!悪くない!悪いのは ~~だ!という現実を
創り上げる為に全エネルギーを、自ら費やしていたのです。
それは、まさしく攻撃と争い……破壊という行為以外の何物でもありません。
また、その自分の価値観を人や世界に向けて強要するといった強迫・束縛・
拘束という行為に他ならず、すべてを自分の我を通すために奴隷化していく
行為に他ならないのです。


それは、真実の愛から遠くかけ離れ、離れるどころか対極であり
正反対でしかなかったのです。
もちろん、その法則を知らなかった訳じゃありません。
気づかなかった訳でもなかったのです。だって、それをやっている最中
どれだけやっても決して満たされることはなく、やればやる程に
憎悪・怒り・執着・虚しさ・情けなさが増す一方でしかありませんでしたから、
穏やかさや充実感・達成感・静寂を求めていたのに、どんどん遠ざかり
その真逆ばかりが押し寄せてきて、それらに埋め尽くされ打ちのめされて
いったのですから。
だからこそ、自己にてそこから出るという選択こそは出来ませんでしたが、
出来事と自分で創り上げた環境により、身を消し隠すというギブアップと
いった形で、逃げ出ることになったのです。


今にして思えばあの時は、環境・状況の過酷さ故に、マインドも自己の
核さえも崩壊していたので、気づくことさえ出来なかったし、
押し出されたような形で出た後にでも、あまりの衝撃で放心状態のような
抜け殻の時期を過ごし、その時間がもう一度 自分を取り戻すための
必要な時間であって、それらすべての完璧さに導かれたからこそ、
やっと真理に触れれる時が訪れたのだと思います。


こんな大きなことまで創りだして……
それにより、こんなに大きな代償を払って……
そして、こんなに長い時間を費やさなくてはならなかったのか?
答えは、完全に YES! です。私自身が、このことに本気で自分のみに
指を向け、そのすべてに心から降伏し、自己の創り上げたものが
何だったのかを真に受けとめ納得するには、これだけのプロセスが
必要だったのです。
人は、それを愚かというかもしれない……。
時間と労力の無駄遣いだと笑うかもしれない……。
でも、私が私である為に、本当の自分に触れ知る為に、私という存在の
核なるYES!を極め、私自身が自分の人生と生命に対して、
ハートそのもので納得し一致することを、これもまた私が決断したことで
必然に完璧に用意されたことを、自身で引き寄せたというだけだったのです


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