ずっと抜け殻そのもので暮らしていた数か月……。人との関わりを
完全に閉ざし、携帯の着信に応答することもなければ誰かに
逢うことを強烈に恐れ、買い物ひとつ行くにしろわざと時間帯を
かえて深夜に営業している店まで行ったり、一日中を家の中で
過ごし仕事もなく予定もなく、時間の概念さえない毎日の繰り返しで、
有り余る時間をゴロゴロしながら、テレビを観るわけでもなければ
DVDを観るわけでもなく、窓の外の下界の音をガラス越しに聞いて
いるだけで、食事すら取ったのかもよく分かっていない状態でした。
何故こんなことに陥ったのか?これからどうやって生活を成り立てて
いくのか……そんな現実にリンクすることなんて、到底考えることも
出来ず、来る日も来る日も窓の外を眺めては、明るい昼間が薄暗い
夕方になって、真っ暗の夜になって音さえ無くなる深夜が訪れる……
それを感じるのがやっとでしたね。
そんな中、この境目を見ることになった数人の友人達が本当に
心配してくれて、週末の度に何だかんだと理由をつけては、
私を無理矢理に外に連れ出し始めてくれるようになりました。
食事と共に少しのお酒を交わしながら、私の状況のすべてを
知りながらも一切それには触れずに、何事もなかったかのような
これまでと変わりない延長線上であるかのように振る舞って、
外という違う次元に触れるようにきっかけとなってくれ、
ほんの少しずつではあったけど、次第に今の自分をぼんやりと
眺めれるようになりました。
これまで私は、どうやって何を指針にして、それらをどのように
扱って人の中で生きてきたのだろう?
何を求め、何を望んで、何に向かっていたの?
そして、その一つ一つが生み出した結果は?
その結果は、私にとって本物……真実だったのか?
それらすべての意図=結果=私のハート……そして、その間の
プロセスのすべてがただの反応だったり反射だったりじゃなくて、
ちゃんと他の誰でもなく世間の常識や歴史が創り上げた概念じゃなく、
今ここに生きる佐武暢子という私自身の核である自分のハートと
一致していたのだろうか?
そして、そのすべてにおいて自分の答えとして堂々と胸を張って
『 YES! 』と断言出来ていたのだろうか?
今、振り返ってもそう言いきれるか?
そんな、自分自身への問いかけという名の、自分自身との問答が
始まっていったのです。
何故に、そんなことを考えついたのか?思い立ったのか?
さっぱり分かりませんでしたが一度、脳裏を霞めたこの思いは
消すことが出来なくなり、寝ても覚めてもこの問答が離れなくなって
いきました。
しかし、自分が自分と問答するということは、苦痛以外の何物でも
ありません。自分に起きた出来事も、関わった人間関係も、
すべてにおいて主語を~~がとか、誰々が……といった他に置く
ことは出来ず全部に対して、その時、本当は私は……という
『 I am …… 』のみにし、ひとかけらの嘘も偽りも自分以外をそこに
置くことも許されないのです。この問答が意味するもの……。
それは、今までずっと正当化やジャッジ、責任転嫁や言い訳などの
ありとあらゆる手段を講じてでも、絶対に見ないで目を背け、
否定し受けとめずに封印してきた自分の側面に触れる。
その自分に正面から二人っきりで対面するということなのです。
自己により封印してきた自分 VS 今ここに生きる自分。
それ以外の何も、誰も、このリングには上がれない、無制限一本の
真剣勝負。一度ここに上がりし者は、他の何でもなく真の自分自身が、
起きたことのすべてにおいて一点の曇りのない自分の核なる『 YES! 』を
見つけるまでは決して降りることは出来ないのです。このリングの
意味を知りながら、快く思わないのも知りながら、何故か自分の意思で
そのリングに上がっていった私。
理由は分からないけど、これをやるしかないんだ!
これしか残されていない!私という個……ドット( 点 )を、
自分の納得いくように極めるには……私が、他の誰でもなく本当の
自分に出逢う為には……。漠然とハートの奥からこみ上げる唯一の
バイブレーションだったから
完全に閉ざし、携帯の着信に応答することもなければ誰かに
逢うことを強烈に恐れ、買い物ひとつ行くにしろわざと時間帯を
かえて深夜に営業している店まで行ったり、一日中を家の中で
過ごし仕事もなく予定もなく、時間の概念さえない毎日の繰り返しで、
有り余る時間をゴロゴロしながら、テレビを観るわけでもなければ
DVDを観るわけでもなく、窓の外の下界の音をガラス越しに聞いて
いるだけで、食事すら取ったのかもよく分かっていない状態でした。
何故こんなことに陥ったのか?これからどうやって生活を成り立てて
いくのか……そんな現実にリンクすることなんて、到底考えることも
出来ず、来る日も来る日も窓の外を眺めては、明るい昼間が薄暗い
夕方になって、真っ暗の夜になって音さえ無くなる深夜が訪れる……
それを感じるのがやっとでしたね。
そんな中、この境目を見ることになった数人の友人達が本当に
心配してくれて、週末の度に何だかんだと理由をつけては、
私を無理矢理に外に連れ出し始めてくれるようになりました。
食事と共に少しのお酒を交わしながら、私の状況のすべてを
知りながらも一切それには触れずに、何事もなかったかのような
これまでと変わりない延長線上であるかのように振る舞って、
外という違う次元に触れるようにきっかけとなってくれ、
ほんの少しずつではあったけど、次第に今の自分をぼんやりと
眺めれるようになりました。
これまで私は、どうやって何を指針にして、それらをどのように
扱って人の中で生きてきたのだろう?
何を求め、何を望んで、何に向かっていたの?
そして、その一つ一つが生み出した結果は?
その結果は、私にとって本物……真実だったのか?
それらすべての意図=結果=私のハート……そして、その間の
プロセスのすべてがただの反応だったり反射だったりじゃなくて、
ちゃんと他の誰でもなく世間の常識や歴史が創り上げた概念じゃなく、
今ここに生きる佐武暢子という私自身の核である自分のハートと
一致していたのだろうか?
そして、そのすべてにおいて自分の答えとして堂々と胸を張って
『 YES! 』と断言出来ていたのだろうか?
今、振り返ってもそう言いきれるか?
そんな、自分自身への問いかけという名の、自分自身との問答が
始まっていったのです。
何故に、そんなことを考えついたのか?思い立ったのか?
さっぱり分かりませんでしたが一度、脳裏を霞めたこの思いは
消すことが出来なくなり、寝ても覚めてもこの問答が離れなくなって
いきました。
しかし、自分が自分と問答するということは、苦痛以外の何物でも
ありません。自分に起きた出来事も、関わった人間関係も、
すべてにおいて主語を~~がとか、誰々が……といった他に置く
ことは出来ず全部に対して、その時、本当は私は……という
『 I am …… 』のみにし、ひとかけらの嘘も偽りも自分以外をそこに
置くことも許されないのです。この問答が意味するもの……。
それは、今までずっと正当化やジャッジ、責任転嫁や言い訳などの
ありとあらゆる手段を講じてでも、絶対に見ないで目を背け、
否定し受けとめずに封印してきた自分の側面に触れる。
その自分に正面から二人っきりで対面するということなのです。
自己により封印してきた自分 VS 今ここに生きる自分。
それ以外の何も、誰も、このリングには上がれない、無制限一本の
真剣勝負。一度ここに上がりし者は、他の何でもなく真の自分自身が、
起きたことのすべてにおいて一点の曇りのない自分の核なる『 YES! 』を
見つけるまでは決して降りることは出来ないのです。このリングの
意味を知りながら、快く思わないのも知りながら、何故か自分の意思で
そのリングに上がっていった私。
理由は分からないけど、これをやるしかないんだ!
これしか残されていない!私という個……ドット( 点 )を、
自分の納得いくように極めるには……私が、他の誰でもなく本当の
自分に出逢う為には……。漠然とハートの奥からこみ上げる唯一の
バイブレーションだったから
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