先日、職員さんの胃カメラをする機会がありました。 

検査では、軽度の食道カンジダ症が見つかりました。 

 

話を聞いてみると、とにかく休めていない。 

休日も仕事をしていて、有給休暇もなかなか取れていない。 

 

「ちゃんと休まないといけないよ」 

そんな話をしているうちに、その方の目に涙が浮かびました。 

 

真面目で責任感が強い人ほど、 

「休んだほうがいい」 

と言われても、休めないことがあります。 

 

自分がやらなきゃ。 

人に迷惑をかけられない。 

まだ頑張れる。 

 

そんなふうに、心より先に身体が悲鳴をあげることもあります。 

 

 

そこでおすすめしたいのが「涙活」です。 

 

涙活とは、医学的な正式名称ではありませんが、映画や音楽、本などをきっかけに、意識的に泣く時間をつくること。 

 

泣いたあと、 

「なんだかスッキリした」 

「身体の力が抜けた」 

 

そんな経験がある人も多いと思います。 

 

私は、涙の一番大切なところは、 

「自分の感情に気づけること」 だと思っています。 

 

「本当は辛かった」 

「悲しかった」 

「ずっと頑張っていた」 

「誰かにわかってほしかった」 

 

普段は頭で押さえ込んでいる気持ちが、涙と一緒に出てくることがあります。 

 

 

私自身も以前、どうしても聴くと涙が出る曲があって、 

「今は泣く必要があるんだろうな」 

と思い、仕事帰りに一人カラオケへ行っていました。 

 

歌は全然上手じゃないけど、 歌って、泣いて。

でも、不思議なくらいスッキリしました。 

 

 

涙活は難しく考えなくて大丈夫です。 

 

泣ける映画を見る。 

好きな音楽を聴く。 

昔のアルバムを見る。 

自分に手紙を書いてみる。 

 

そして、 「本当はどうしたかった?」 と、自分に聞いてみる。 

 

もちろん、泣けなくても大丈夫です。 

泣くことが目的ではありません。 

自分が今、何を感じているのかに気づく時間を持つことが大切です。 

 

特に、 

真面目な人。 

責任感の強い人。 

我慢強い人。 

弱音を吐けない人。 

「私は大丈夫」と言ってしまう人。 

 

そんな人にこそ、試してほしいと思っています。 

 

泣くことは弱さではありません。 

 

もしかすると涙は、 

「私、本当はこんなふうに感じていたよ」 

と、自分自身が教えてくれているサインなのかもしれません。 

 

最近、ちゃんと泣いていますか?

 

 

 

こちらで毎日お話しています👇

 



野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。

 

最近、不登校についての記事が目に留まりました。 

 

特に気になったのが、小・中学校の不登校の主な要因として「無気力・不安」が多いということ。 

 

まだ小学生の子どもたちが「無気力」になっている。 

 

これって、どういうことなんだろうと思ったんです。 

 

私は、無気力なのではなく、 

「気力を使い果たしている」 

子どもがかなりいるのではないかと思っています。 

 

朝から学校へ行き、6時間授業。 

集団の中で周囲に気を遣い、決められた時間割で動く。 

 

そして学校が終わったら、塾、英語、スイミング、ピアノ、スポーツ。 

家に帰ったら宿題もある。 

子どもたちは、いつ休んでいるんだろう。 

 

 

私が子どもの頃は、学校が終わったら友達と遊んでいました。 

朝早く学校へ行ってドッジボールをして、放課後もまた遊ぶ。 

 

学校は勉強をする場所でもあったけれど、 

「友達と遊ぶ場所」でもありました。 

 

今は逆に、学校から帰ってから塾へ行き、勉強する。 

英語を習う。 

スポーツを習う。 

それなら学校って何のためにあるんだろう、と考えてしまいます。 

 

 

私の娘も高校生のとき、不登校になりました。 

当時はいろいろ悩みましたが、今振り返ると、学校を辞めてよかったと思っています。

 

娘が不登校になったことで、私自身も 

「学校へ行くのが当たり前」 

という常識を見直すことになりました。 

 

不登校を、ただ「学校へ行けない問題」と見るのではなく、 

子どもが何かを知らせてくれているサインとして見てみる。 

 

「どうやったら学校へ戻せるか」だけではなく、 

この子は何に疲れているんだろう。 

何が苦しいんだろう。 

今、本当に必要なものは何だろう。 

 

そんな問いも大切なのではないでしょうか。 

 

無気力なのではなく、 

もう気力が残っていない。 

 

だとしたら必要なのは、 

もっと頑張らせることではなく、 

もう一度、気力が戻ってくるだけの「余白」なのかもしれません。

 

 

 

 

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野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。

 

先日、杉浦貴之さんのトークライブの後、お食事会に参加しました。 

 

参加者は10名近く。 

なんと、私以外は杉浦さんを含め、全員ががんサバイバーでした。 

 

そこで自然と話題になったのが、 

「どんな治療をしたのか」 

そして 

「どんな食事療法をしたのか」 

ということ。 

 

玄米菜食をした人。 

糖質制限をした人。 

人参ジュースを飲んだ人。 

 

本当に、みんなそれぞれ違っていました。 

 

それを聞きながら、 

「正しい食事って、一体何なんだろう?」 

と思ったんです。 

 

私の母も20年ほど前に乳がんになりました。 

母も治療後、人参ジュースやプロポリスを飲んでいました。 

 

それがどこまで影響したのかは分かりません。 

でも今、母は治療から20年ほど経っています。

たしか、ステージⅡAだったと思います。 

 

 

私自身も以前は、 

「何を食べたら健康になれるんだろう」 

といろいろ調べましたことがあります。 

 

でも調べれば調べるほど、 

玄米がいいという人もいれば、

消化に負担がかかるという人もいる。 

 

肉を控える人もいれば、

たんぱく質をしっかり摂った方がいいという人もいる。 

 

もう、 

「分からん!」 

と思って、調べるのをやめました(笑)。 

 

もちろん、食事は大切です。 

でも、誰かにとっての正解が、自分にとっての正解とは限りません。 

 

そして今回、改めて感じたのは、 

「何を食べるか」だけではなく、 

「どう食べるか」も大切なのではないか、ということ。 

 

以前「食べるヨガ」で、 

一口食べたら箸を置き、ゆっくり味わうという食べ方を教わりました。 

 

忙しいと、私もついつい箸を置かずに次々食べてしまいます。 

 

でも、 

「美味しいものを食べる」と 

「美味しく食べる」は少し違う。 

 

体にいいから食べなければ。 

これは食べてはいけない。 

 

そんな義務感や恐れではなく、 

 

「美味しいな」 

 

と感じながら食べる。 

 

自分の体に合うものを自分で選び、 

丁寧に味わって食べる。 

 

私は、それも含めて 

「正しい食事」なのではないかなと思っています。 

 

 

今日のごはん。 

一口だけでも箸を置いて、 ゆっくり味わってみませんか。

 

 

 

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野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。

 

昨日、杉浦貴之さんのトークライブに参加してきました。 

 

たかさんには、2年前の 

「医療のパラダイムシフトサミット2024」に 

登壇していただきました。 

 

トークライブに参加するのは、今回で2回目。 

 

前回もそうでしたが、 

たかさんの歌は心に響きます。 

 

たかさんが闘病中に感じていた、 

苦しかったこと、辛かったこと。 

 

その時の想いが、そのまま歌詞になっているからでしょうか。 

 

言葉だけではなく、 

その奥にある想いまで伝わってくるように感じます。 

 

今も作詞作曲を続けていらっしゃるそうです。 

 

 

今回、特に印象に残ったのが、 

「応援される」という体験でした。 

 

会場から「応援されたい人」を5人選び、 

歌の中の 

 

「どんな時も大丈夫だよ」 

 

という言葉と一緒に、 

会場のみんなが、その人に向かって 

👍👍👍を送ります。 

 

私も、応援される側に選んでいただきました。 

 

みんなから 

「大丈夫だよ〜」 

と応援してもらう。 

 

いやもう、 

嬉しいやら、恥ずかしいやら(笑) 

 

でも実際に応援されてみて、 

こんなに嬉しいものなんだなと思いました。 

 

 

そして、もうひとつ感じたことがあります。 

 

応援って、 

応援される人だけが元気になるわけではないんですね。 

 

誰かに向かって 

「大丈夫だよ」 

「応援してるよ」 

と伝えている側も、 

なんだか元気になっていく。 

 

会場全体が、少しあたたかくなるような感覚がありました。 

 

 

 

普段、誰かを応援することはあっても、 

自分が応援されることを素直に受け取る機会は、 

案外少ないのかもしれません。 

 

応援することも、 

応援されることも、 

どちらも人を元気にする。 

 

そんなことを感じた時間でした。 

 

あなたには今、 

応援したい人はいますか? 

 

そして、 

あなた自身も誰かからの応援を ちゃんと受け取っていますか?

 

 

 

 

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野上徳子(のがみとくこ)
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1967年生まれ、岡山育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。

 

最近、ふと気づいたことがあります。 

 

私はずっと、自分のことを「鈍感な人間」だと思っていました。 

でも、どうも違ったようです。 

 

鈍感だったのではなく、鈍感なふりをしていた。

 

本当は敏感に感じていたけれど、それを感じていないふりをしていたんです。 

 

人と話しているときの目の動き。 

声のトーン。 

ほんの一瞬の表情の変化。 

その場の空気。 

 

私は、そんな小さな小さなものを、本当はずっと感じていました。 

 

でも、人と一緒にいるといろいろ感じてしまう。 

それがしんどくて、ひとりでいたくなる。 

 

ところが、ひとりでいるとやっぱり寂しい。 

 

だから私は、 

「もっと強くならないといけない」 

と思ったのかもしれません。 

 

強くなって、感じないふりができるようになれば、誰かと一緒にいられる。 

 

今思うと、そんなバカな、です。 

 

感じないふりをすればするほど、苦しくなっていきました。 

 

 

私は3人きょうだいの真ん中で、3歳のときに妹が生まれました。 

「お姉ちゃんなんだから」 

 

そんな言葉を聞きながら、いつの間にか、

 我慢しないといけない。 

強くないといけない。 

 

そう思うようになったのだと思います。 

 

もちろん、親が悪かったという話ではありません。 

 

小さな私なりに、自分を守る方法を身につけたのでしょう。 

 

でも今は、 

もっと敏感でいい。 

もっと繊細でいい。 

と思っています。 

 

「なんとなく嫌」 

「なんとなく心地いい」 

「なぜかわからないけど、ざわっとする」 

 

うまく説明できなくても、それも自分の大切な感覚です。 

 

感じたものを、すぐに打ち消さなくていい。 

 

「私は今、こう感じているんだな」 

 

まずは、自分が自分の感覚を拾ってあげる。 

 

ずっと強くいなくてもいい。 

ずっと平気なふりをしなくてもいい。 

敏感なままでも、人と一緒にいていい。 

繊細なままでも、生きていていい。 

 

 

私は今、そんなことを少しずつ自分に許し始めています。

 

 

 

 

 



野上徳子(のがみとくこ)
内科医・心理カウンセラー
1967年生まれ、岡山育ち。現在、愛媛県松山市在住。

医師として30年診療に携わる中で、昔から‟病は氣から”というように病気の原因は氣(潜在意識)が大きく関わっていることに気付き、現在は、病気や生きづらさの中に生きる価値を見出し、本当の自分として命を輝かせて生きるサポートをしています。