ぱいれーつ夫婦のあらまし
この記事 実は来年の5月にUPしようと思っていました。
結婚11周年の5月13日に登場させる予定でした。
ですが、アメブロに来る前から ぱいれーつを応援してくれている マミさんから是非!との言葉で
今回登場させることにしました。
2010年も残すところ あと一ヶ月。
結婚生活節目の10年の私達。
ぱいれーつを愛読してくれている あなたに ちょっと知ってもらいたい私達の歩みです。
(2010年5月13日の記事より)
実は10年前の今日、結婚式を挙げた。

プールサイドのチェペルで、多くの仲間達に祝福してもらい、
私達は夫婦になった。
そもそも、かいぞくとっティーが結婚を決めた理由のひとつ。
それは、夫の献身愛!
私は実家のとなりのはなれに住んでいた。
そうじもろくにしていない築40年近いボロや。
ここに友人達が連日入り浸る生活。
仲間の一人が
『あばらや とっティー』と看板を作ったくらい、
みんなに愛されていたボロや。
宿泊の思い出に?と『あばらやノート』なるものもあったくらい、
ペンション??化していたボロや。
そうじ嫌いな私の元へ、彼がやってきて
薄汚れたトイレの壁のペンキ塗り
そして極めつけは

野良猫も勝手に上がり込むくらい、鍵もなくほとんとあけっぱなしにしていた私に
鍵をくれた。
彼がわざわざホームセンターに行き、
自腹で鍵をとりつけてくれたのだ。
つきあいはじめの彼が、アパートの合い鍵をくれた!と喜ぶ女とは大違い!
彼が来るたびに、家の中が少しずつ少しずつ
きれいになっていく。
そして私もきれいになっていった・・・。(???)
家庭科はいつも2!
うちにいつもじっとしていられず、ただただ毎日外へ遠くへ刺激を求め、大騒ぎをしていたい私。
そんな私がいいと(?)彼は私を選び、そんな私をまるごと受け止めてくれる彼ならずっとずっと一緒にいて幸せだろうと私達は結婚した。
そう、10年前の今日なのだ。
10年前の今日。

南国をイメージしたコテージ風のチャペルで、青空の下、式を挙げたかったのにもかかわらず
バケツをひっくりかえしたような大雨、大嵐。
なぜか、外で鐘を鳴らすときだけは、雨が一瞬やんだが、
あとはずっとずっと雨、雨、雨・・・。
今思えば、まるで私達のこれからの生活を暗示させるような空模様だった。
それでも花嫁。人生の晴れ舞台。
女性が一番、キラキラと輝く夢舞台。
笑顔満開の私の前で、
私のことをよく知る男友達が、うちのだんなに一言。
「ご愁傷様・・・・。」
今でも忘れない。
けれど、彼もこの言葉に
「ご愁傷様?
俺はかいぞくとっティーをーをゲットした世界一幸せな男なのだ!!」
と思ったに違いない!!!(同感してたりして・・・・)
胸に挿した短刀(懐刀)は、花嫁の覚悟を示すものという。
それが日本の花嫁・・・・。
が、『豊かさと高貴の象徴』
白い西洋のウエディングドレスを着た私には、全く持ってその覚悟がなかった。
遠くにいけば、何かにあえる。
遠くにいけば、楽しいことが、幸せが待っている。
そう信じてやまない私につきあい、資格をとったら仕事をやめて、二人で海外でちょっと暮らしてみよう。
そして日本に戻り、いつかいつか二人で信州か北海道の眺めのいいところに家をたてよう。
そんな無茶苦茶な未来予定表を作り、リビングに掲げていた新婚当初・・・。
結婚をし、3年経ってぴーが産まれた。
大喜びのはずが、とにかく右も左もわからない育児。
仕事から離れ、家の中で泣きわめく幼子と二人きりの閉塞感。
こんなはずじゃなかったのに!
こんなはずじゃなかったのに!
あの約束はどうなったのよっ!
ざっぱー、ざっぱー、おおざっぱー、細かいことは気にしません!の妻の激変。
こんなはずじゃなかったのに!とヒステリックにわめき散らす私を、毎日疲れて帰ってくる彼は受け止めつつも限界を超えた。
連日、連夜の大げんか。
ぴーをかかえ、友達のお宅に転がり込んだこともある、
それくらい、お互いにパツンパツンだった。
ぴーが、1歳でネフローゼという腎臓の病気になり、3年経って職場に復帰したものの退職。
その後、二人目の有無で衝突・・・・。 どれだけのバトルがあったことか・・・・。
そして数々の危機を乗り越え現在・・・。
「『ご愁傷様』」は、とっティーのほうだったかもな・・・。」と夫。
大なり小なりのけんかを繰り返すことで、互いの地雷の場所を理解し、少しずつ平和に毎日を過ごせるようになってきた。
10年前は週末ごとに、あばらやをきれいにしてくれたダンナは
世界中の海をまたにかけ、港みなとで酒をあおり、飲めや歌えの大騒ぎをしていたアラブ、インド系の大男。
所帯ももたず、モノにも無頓着でひたすら気ままに、気楽に生きてきた前世の持ち主の現世は・・・


毎日ヘロヘロ。修行 修行の日々・・・。
私の尊敬する ある人が言った。
「自分の本来望む場所と180度違う環境に身をおいた時、そこから逃げないでいかに生きるかで、
人生の豊かさ 心の豊かさが決まる。」
今のこの身、この環境は決して10年前の花嫁の私が夢描いたものではない。
でも、どうだろう。
子どもを産んで育てることで、本当にいろいろなことを学んだ。
いかに人一人を育てることが大変なことか。
息子が病気になることで、当たり前すぎる健康が実は全然当たり前じゃなく、
何者にも返られない一番の宝物だということ。
長期の入院を経験することで出会った闘病生活を過ごす多くの子どもと、たくさんの家族達。
みんな、みんな辛いけど、精一杯、精一杯生きている。
生きていることに、すべて意味がある。そう感じ始めたのもこの頃。
そして、子どもを通して出会った財産ともいえるママ友達・・・。
自分のためだけに、ただ生きてきたぱいれーつは、
今、ママ!ママ!おかーたん!、おかーたん!と100%の力でぶつかってくる子ども達に振り回されながら、精一杯生きている。
現状に不平不満ばかりを言い、遠くを求め続けた私。
逃げたくても逃げられない環境で、あがきつつも、現実世界を少しでも楽しくと生きている私。
10年前のチャペルの花嫁に
「全然あなたの思い描く未来予想図にはなりませんでした。
あなたは毎日ヘロヘロになります。
けれど、結構頑張ってるし結構悪くないよ。」
強がりではなく、そう笑って言える今がある。
そう心が成長できたのも、彼が私と結婚してくれたから。
本当にどうもありがとう。
これからも、よろしくね。










