8月6日 | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

8月6日

8月6日。 記念すべき日だ。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

実は昨日、下の子みーが

初めて トイレで用をすますことができたのだ!

それも 大と小のダブル!


今月終わりで 3歳になる みー。

じぶんで星人、プライドが高いわりには 決して早くないトイレデビュー。


私は、今の今まで 一言も彼女をトイレに誘導したことはない。









懲りたのだ。

5年以上前・・・初めての子育て。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう
「うちの子、もうとれたのよっ!」


2歳にもならない子が トイレに??

もうおむつなし??

学年がひとつ違う4月生まれのAちゃんのトイレデビューは

公園ママ達で話題に・・・。




焦る焦る公園ママ。

「でも 1歳は ちょっとできすぎでしょ!?」「うちは2歳の夏に挑戦する!!」


よしうちも!と 次々おむつがはずれていく仲間達のアドバイスをききながら

トイレトレーニングに励んだ ひー2歳の6月。


成功する日がふえてきて、これから動物園!という支度時に大失敗。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

「なんで 

トイレにいかないのよ!!」


吠えた!叫んだ!怒りがとまらない!





もう 疲れた。もういいや。いつかはとれるはず。 

それから半年、何も言わずおむつ生活。3歳を前に保育園に入った息子は、すんなりおむつが取れた。



この反省を胸に みーには一言も言わなかった。

小学生になっても おむつをしている子はいない。なんとかなるでしょ!!


きっとこの気楽さがいいのかも。

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう

自分で 用を足せた娘は

とても誇らしげだった。



そして いつものように パンツおむつ着用。




まっ いいでしょう。

なんとかなるやの子育て。

一人目の息子の犠牲のもと 二人目はすくすく育っていく。







そして もうひとつの特別な日。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう
8月6日 ヒロシマ


実は 私は原爆2世だ。

母が小1の時、

爆心地から2500メートルの学校の昇降口で被爆している。








母の父、つまり私の祖父は爆心地のすぐそばで 3日後に亡くなったことが確認されている。

焼け野原の中を母の姉が、祖父を捜し回った。祖父のカバンが今なお残されている。


叔母はヒロシマの話を封印している。「ヒロシマには いきたくない・・・」




3日前の新聞記事をみた。県庁で 幼稚園の先生だった被爆者の女性が腹話術で自分の体験を語る。という。


被爆当時小学校一年生。

母と重なった。


私が母から聞いている原爆の話は、

学校の昇降口で毬つきをしていたら、ピカッとひかってどん!うつぶせた時に地面が動き、たんこぶができた。

というもの。外で遊んでいた友達は みんなやけどをして大変だった。

もう お父さん、お母さんに会えないかも。と泣きながら うちに帰った。そんな話だ。


私にとって母の被爆体験は たんこぶであり、おじいちゃんが亡くなった。

その二つ。

きっと 地獄絵をみたであろう母。が、そういった話は一切なかった。

15年前に他界した母から もう私は話を聞く術がない。


母の死が 愛するものを亡くす深い悲しみを教えてくれた。

そして 子どもを産むことで 命の尊さを知った。


母と同い歳で 同じ場所にいた この人から話を聞きたい・・・。


上のひーは おじいちゃんと ポケモンスタンプラリー。

下の子 みーを連れ、児童館、そして県庁へ。


小さな会議席のような部屋。空席が目立つ。

そんな中 腹話術がはじまった。
ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう


あっちゃんと 小谷孝子さん。









みーは お菓子をつまみながら 「おにんぎょう おもしろいねぇ」


小谷さんは 8月6日の昼。 家族で広島市内から田舎にで疎開をするはずだった。

ほぼ荷造り完了、あとは引越の車を待つのみ。

朝ご飯を食べ、小学生の姉、兄、そして4歳の弟と裏の川へ遊びに。

途中、のどがかわいた小谷さんは うちに水を飲みに戻った。


その時、原爆が・・・・。

外にいた兄弟達は全身やけど。

意識のない4歳の弟さんの顔を母親が服でふくと、顔の皮がズルッとむけた。

4日後に意識が戻り、 「ミズ オイシイネ」と言葉を残し 亡くなったという。

母親は死んだ弟を がれきに火をつけて葬った。泣きたいはずなのに、涙ひとつ流さず気丈でいた。


その母親も終戦から6年後、原爆症による白血病で失った小谷さん。


こんな筆舌つくしがたい体験を あっちゃんというお人形とのかけあいで

カラリと伝えてくれた。


声がつまりそうになると、人形のあっちゃんの顔をみて ぐっとこらえる。

そうやって私達に 真実を伝えてくれた。


講演終了後、小谷さんが私達親子の元に

ぱいれーつかあさん 今日もざっぱーでいこう
「ききにきてくれて ありがとう」



彼女は観客からもらった花束を私達親子にくれた。

私の母も 同じです。これからも頑張って下さい。


先を急いでいる彼女に それだけ伝えた。





小学校1年生かぁ・・・。

今のぴー君くらいだな。

4歳、仲良しの友達の弟S君くらいかぁ・・・。

小谷さんのお母さん、37歳だったんだぁ・・・。

今の自分と重ねて 話をきいた。



私達が ふつうに暮らせること。

60年以上前の 先人達の犠牲のもと 今の平和な日々があることを忘れちゃいけない。

下の子を抱きながら、そんなことを思った8月6日だった。

人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 年の差兄弟・姉妹へ
にほんブログ村

長い長い文章につきあってくれてありがとう。よかったら 上の二つぽちぽちお願いしますね。