浅田次郎氏の『神坐す山の物語』の中に、紙垂にまつわる不思議なお話が登場します。
浅田氏が子どもの頃のできごとです。
「武蔵御嶽山(むさしみたけさん)と言う霊山を、どれくらいの人が知っているだろうか。
奥多摩の山中に太古から鎮座する神社があり、母の実家は代々その山上で、神官を務める傍ら宿坊を営んでいた
ここが東京都内だと言われても、
にわかには信じられないほどの仙境である」
その神坐す山の花々は、一夜の春の嵐で跡形もなく散らされるのだそうです


「そうした春の嵐は、山頂の神社に宿直する神官によって正確に察知された。
女中たちが大階段を駆け上り、慌ただしくガラス窓を開けた。
『神様がお通りになるんだから、心配は要らないよ』
そうこうしているうちに、家中の人々が大広間に集まってきた。押し入れから布団が担ぎ出された。
やがて、夜の闇ではない黒雲が屋敷にのしかかったと思う間に、雷鳴が耳を割き、光が爆ぜた
私は生きた心地もせず、布団にくるまって誰だかわからない人にすがりついた。
しかし神の顕現を見落としてはなるまいと思って、薄闇に目を見張っていた
突然、関東平野に向いた裏庭が金色に染まり、太い光の束が大広間を貫いて長屋門まで突き抜けた。
それはほんの一瞬ではあったが、鋸の刃のように鋭く尖った稲妻の形が、決して思い過ごしではなく、私の目にはっきりと見えたのだった。
不思議なことに、柱にも鴨居にも焦げ跡ひとつなく、山中のどこかに雷が落ちたわけでもなかった。だとするとあの稲妻は、大広間にうずくまる人々の頭上をかすめ、柱を避けて門から出て行ったことになる。
大気中の放電現象と言うよりも、神渡りとする方がまだしも納得がいく。
日本語の「カミ」の語源は知らない。
しかし「カミ」を当てた「神」を解字すると、示偏が贄を備えた卓であり、「申」は稲妻の象形であるとわかる。
そう思えば神祭にはつきものの紙垂の形は、稲妻に似ている。
やはり私が幼い日に見た一瞬の鋭い光は、神の顕現だったに違いない。
外国から渡来した神仏には、愛だの慈悲だのという人間性があるのだが、日本古来の神は超然としており、ひたすら畏怖すべき存在である。
そうした意味では、一概に宗教とは言えまい。
私たちは未知なる自然や神秘なる現象を総括して、固有の神とした。
長い歴史の中で、預言者の出現すら許さなかった、恐ろしい神である」
古の日本人は病や貧しさをもたらすものさえも「悪魔」とは呼びませんでした。
畏怖の念をもって、その存在を「疫病神」「貧乏神」と呼びました。
神として崇め、祀ることで、そのお働きを鎮めてきたのです。
本来、自然霊とは無道徳霊です。
人間の道徳観、倫理観で計ることのできる相手ではありません。
古の日本人は、自然霊の声をよく聞き、共存してきたのだと思います。
紙垂を眺めていると、そんな光景が浮かんでくる気がします。
シルフェ![]()
阿部小百合
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シルフェ 阿部小百合
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