私たちの「嬉しい」「楽しい」「悲しい」「怖い」「恐ろしい」は
思考相 で生まれるものですよね?
現実相は 意味をもたないけれど
それに意味を持たせたり感情を載せたり良いとか悪いとか言うのは
全部思考相ですよね?


思考相は 検索エンジンと一緒。
コレまでの経験をもとに(=データベース)
現実相の事柄を考えて
「これはなに?」
「どういう意味?」
「私にどういう関係が?」とはじき出す。
良い、悪い、も どういう気持ちを引っ張り出すかも
「自分の世界」=データ全て
からしか はじき出せないから
立場によって 物事の見方が変わるのです。
「見解が広い」「狭い」というのは
結局 このデータベースの大きさでしょう?



私ってどうしてこう考えちゃうんだろう、とか
なんでいつも こう思ってこうやっちゃうのかなとか
よく聞くでしょう?
私もよくやります。


だってアタマの中の思考相は 感情や状況判断をする所だけど
そのおおもとは 既に持ってるデータベースだから。
おおもとのデータに書き加えられることが増えなければ
検索結果の順番が変わることは なかなかないです。



「感情の嵐」は取っ組み合いするモノではなく
乗り越えるモノだ、と書いた理由はここにあります。
乗り越えることで 新しい結果を導き出す情報が書き込まれ
次に検索がかかった時 違う可能性を引き出すからです。




もうひとつ 大事な事は
データーベースからはじき出された「感情」に
振り回されている自分がコントロール出来ないなら
(それが「感情の嵐」という言葉である限りね)
コントロールは諦めるか
このデーターベースを書き換えるか
このコンピューターが この嵐みたいな「気持ち」を打ち出し続けるのを
とりあえずみておくか
それくらいしか 出来ることはないんですよ。




自分でコントロール出来ないものは
「わたしのもの」ではないのです。
そういう意味では 「潜在意識」は
コントロールをしている状態でなければ「わたしのもの」ではない。
コントロールしている時点で「顕在意識」ですから
「潜在意識が現実をつくる」のなら
現実を自分が作っているとは言えないのです。

(あーまた 非難ごーごーになりそうなことを書いてしまった・・・・)


【今回のまとめ】
思考相は ほとんど
条件反射でうごく「検索エンジン」
そこは 自分でコントロール出来ない。


それなら、コントロールすること自体をあきらめて
ほかの手段をかんがえるのが
「人生を思い通りに」に より近くする早道。